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Mariotトークセッション


隈 研吾(Kuma Kengo)
隈研吾建築都市設計事務所
 代表/建築家

1954 
神奈川県産まれ。
東京大学院修了後、コロンビア大学建築・都市計画学科客員研究員、Asian Cultural Council給費研究員
1990  隈研吾建築都市設計事務所設立
1998  慶応義塾大学環境情報学部環境情報学科特別招聘教授
2001  慶応義塾大学理工学部教授
Award
2000 
「北上川運河交流館」でインター・イントラスペースデザインセレクション大賞受賞
「馬頭町広重美術館」で林野庁長官賞受賞、村野藤吾賞受賞、建築業協会賞受賞
2001  「石の美術館」でイタリアよりインターナショナル・ストーン・アーキテクチャー・アワード受賞
2002  一連の業績に対しフィンランドより、スピリット・オブ・ネーチャー・インターナショナル・ウッド・アーキテクチャー・アワード受賞
Project
<国内代表作>石の美術館、馬頭町広重美術館、那須歴史探訪館など
<ongoing>
<国内>サントリー美術館、長崎県新美術館、朝日放送新社屋
<中国・上海>Zhongtai Box
<中国・北京>Commune by the Greatwall Project


面出 薫(Mende Kaoru)
株式会社ライティング プランナーズ アソシエーツ
 代表取締役/照明デザイナー・武蔵野美術大学教授
URL:http://www.lighting.co.jp/

1950 
東京都生まれ。東京芸術大学美術学部デザイン科卒業後、同大学院美術研究科修士課程修了
1990  株式会社ライティング プランナーズ アソシエーツ設立
住宅照明から建築照明、都市・環境照明分野まで幅広い照明デザインのプロデューサー、プランナーとして活躍するかたわら、市民参加の照明文化研究会「照明探偵団」を組織、団長として精力的に活動を展開中。
Award
北米照明学会・国際照明デザイン賞・優秀大賞、国際照明デザイナー協会賞・最優秀賞、日本照明学会・照明普及賞、日本文化デザイン賞、毎日デザイン賞などを受賞。
2002 
北米照明学会Award of Merit「日本科学未来館」
2003  IALD honorable mention「せんだいメディアテーク」
北米照明学会Award of Distinction「OASIS 21」
2004  日本照明学会日本照明賞「国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館」
Project
<国内代表作>東京国際フォーラム、JR京都駅、せんだいメディアテーク、六本木ヒルズなど
Project(ongoing)
<国内>東山魁夷美術館、茅野市市民会館
<中国・北京>中国中央電視台、北京オペラハウス
<シンガポール>最高裁判所、国立図書館



面出:
なかなか予定通りいかないもので、隈さんがまだ到着していないので前座を務めさせていただきます...という訳にはいきませんが、限られた時間ですので楽しくやりたいと思っています。
今日は、隈さんといろいろなお話ができる事を楽しみにしてまいりましたが、隈さんは今車でこちらに向かっているそうなので、あとどれくらいで着くか分かりませんが、私が20分、隈さんが20分自分達の周りの話をして、それから30分くらいテーマに関して二人で対談しようという事になっています。アドリブをきかせてやりたいと思います。

まず、隈さんと僕との出会いについて話そうと思います。隈さんはご存知のようにアメリカのコロンビア大学に行っていた時期があり、1986年に日本に帰ってこられます。
最初は東京大学を卒業して戸田建設にいらしたんですかね。それから独立されて...コロンビア大学に行く前のことなので、1980年すぎに隈さんと会っていることになりますね。

私はその時ヤマギワの研究所にいまして、光のデザインをするんだって、照明器具の形をかっこ良くデザインしている場合じゃない、もっとテクニカルな「光と人間の関係をデザインするんだ!」って一番意気盛んに鼻から息をプンプンしながら「テクニカルライティング」って言葉を使ったんです。
なんて事はない「テクニカルライティング」って言うのは日本語の造語で、アメリカにはその頃「アーキテクチュアル ライティング コンサルタント」って言う方が既にいたんです。
隈さんがコロンビア大学の研究員として行かれた時、照明業界にとって非常に大切なアメリカ人と会っているんです。
この方は今もう亡くなっているのですが、Mr.エジソン・プライスというおじさんです。
NY60丁目イーストサイドの本当に小さなガレージメーカーのおじさんですが、今で言うダークコーンとかウォールウォッシャーとか、要するにダウンライトの神様みたいな、そういうものをどんどん開発していった方です。

隈さんって言う方は非常に敏感な方で、
「面出さんちょっとこれ教えてよ、どう思う?」なんて言って、ちょっと教えると、いろんな事がかなり分かっちゃうんですよね。
そういう事もあって、隈さんはアメリカに行ってNYに住む事になるのですが、その時にエジソン・プライスに会って、彼の自宅兼工場の片隅に畳を敷いたり、そういう事までしてるんです。

アメリカの近代建築すなわちルイス・カーンから始まってミース・ファンデルローエなんかも多分エジソン・プライスと一緒に仕事をしていたんだと思います。
その頃1950年代後半に「アーキテクチュアル ライティング コンサルタント」って言う職制ができている。ですから私たちが1980年になって、「これが照明デザインだ!」って胸を張ってやろうと思っていた事が、アメリカでは1950年代後半、少なくても日本の20年前にはそういう職制があったという事です。ある意味でさすがアメリカだなという感じがするわけです。

隈さんが1986年に帰ってきて、いろいろと書いているものを見ますと、隈研吾という人の建築家としての個性がどんどん出てきます。
一番最初にM2とかとんでもないものを...こういうのが隈さんの建築なのかって感じの、でっかいもので、本当にこれでいいのかなって感じが若干していたのですが。
隈さんは時代の風とか匂いを嗅ぎ分けて、どんどん自分を脱皮していくっていうか、ものすごく賢い人だなと、さすが才能があるんだなって思います。
ものすごく沢山の本を読まれて、遊んでないわけじゃないし、ゴルフしてないわけじゃないし、短い間に、詰め込みで沢山の事を知っている。
僕が少し照明について聞かれると、隈さんはそれ以上に照明デザイナーを乗り越えてもっとたくさんの造詣を身に付けちゃう。そういう人です。

隈さんが会場に来られたら、どんな風に光というものを自分の武器として、また大切な設計の材料として使っているのかを聞きたいと思います。
いまや光の建築家と名乗る人はジャン・ヌーベル以外にも沢山いるんですけれど、日本でいうと、隈さんは光に対してかなり強く意識を持たれて設計していると思います。私が今までやってきた建築照明デザインの需要みたいなものは、磯崎新さんとか槇文彦さんもおられますが、建築照明デザイナーとして、建築家はこんな事を考えているんだな、期待に応えなくちゃいけないなと、そういう掛け合いを一番強くして頂いたのが原広司さんであり伊東豊雄さんであった気がします。
隈さんは当然そういう時代の建築家の教え子であり後輩であったりするのですが、いまや隈研吾というのは日本を代表する光の建築家と言って憚らないと思います。


隈さん登場

隈:
僕にとってエジソン・プライスと会ったっていうのはすごい大きな体験でしたね。

彼はホントにガレージメーカーのオジさんで、AIAのゴールドメダルとか、アメリカ建築学会の受賞を何度もしているんですよね。

建築家、いわゆる巨匠と一緒に仕事をした人って、僕会った事ないんですよ。彼はミースやルイス・カーンと一緒に仕事をしていて、そのエピソードをいろいろ話してくれるんですが、やっぱり生に一緒に仕事をした人の迫力ってすごいですよね。僕らの世代はミースにもカーンにもライトにも生では会えなかった世代だけど、彼は一緒に仕事していたわけですからね。

ガレージメーカーで、ダークコーンとかウォールウォッシャーとか、性能を持った光の道具としての照明器具をたくさん開発する人なのですが、そういうオジさんがいたからこそ、リチャード・ケリーから始まってクロード・エンゲルとかポール・マランツとか、アメリカに沢山いる我々よりもっと優れた深い経験をもつコンサルタントがたくさん生まれる事になるんですね。 

彼といろんなエピソードがあってですね...僕NYで畳を買ったんですよ。
彼は結局その畳を引き取ってくれて...


あれは、隈さんが使おうと思って買った畳を、使わなかったのでエジソンが引き取ったんですか?

いえ、僕がNYから帰るときに、すごく高かったので、もったいないから誰
か引き取ってくれないかなって思っていたら、エジソンがそしたらって。
なんで畳が高かったかっていうと、和風レストランはたくさんあるけど椅子なんですよね。
障子があって椅子に座っているから本当の畳に座るレストランなんかNYにはほとんどなくて。結局和風ブームと言っても畳を使う人はいなかったって訳。
それでカリフォルニアの日本人大工が持っている畳を、日本の何十倍もするような値段で買ったんですよ。

今日はすごく短い間に隈さんも私も自作を発表しなくてはならないのですが、私から先に発表した方が良いですか?