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Mariotトークセッション

神谷 僕は飲食店が多いものですから、比較的癒してあげたいとか健康にしてあげたいとか、元気になれよっていうものすごい直接的にそう思う空間をつくっている訳ですね。
しかも不特定多数の方に。その時に伝えるエネルギーっていうのはですね、勿論食べ物とか、接客とか、笑顔のかわいいおねえちゃんが何かちょっと「こんにちわ」とか言ってくれたら、ちょっと元気になったりするじゃないですか。
そういう距離感みたいな距離の中に僕はさっきの「五行」じゃないですけれども、「土」とか「木」とか「石」とかっていう、そういういわゆる皮膚にこう与えるエネルギーの刺激の量というかですね、そのいわゆる伝わる空気の中で、伝わる皮膚に直接こうなんかドーンと来る距離の量というか、そういうエネルギーの質量っていうのがすごく僕にとってはとっても大事なものなんです。
実はそれがバリに行った時にですね、フォーシーズンのベランダからですね、こちらを見るととてもモダンな建物なんですけれども、見る景色はジャングルなんですね。
「あーもっとできるな」と思った時に、「何でだろうな」と思った時に、こいつらがエネルギー出しているな。
このヤシの木とか、緑色のアリとかが手すりに何十匹も歩いているんです、あのフォーシーズンのあの素敵なラウンジにですね。
その時にこのエネルギーがあるから俺はもっとできるんだ。で対極に東京に帰って、コンクリートジャングルに居るとですね、エネルギー出さないとなんか、バランスが保てないっていうか、人間ってなんかそういう自分で自然にバランスを保とうとしちゃうそういう性質があるとすれば、エネルギーが沢山あるところに行くとボーっとして都会とかに行くと結構バシッとして、「ネガティブです!と結構いけてます!」とか「前向きに仕事してます!」とかそう言える何かがある、というか。

実は沖縄に住んで、去年の9月に沖縄に引っ越してですね、「何もしなくてもいっか」と思える時間がそこにあるとですね、なんか環境とかそういうものでエネルギーの出し方を調節しちゃうというか、で僕は商業施設をつくった空間の中で皮膚に伝わる距離のエネルギーを持っているそういう満たし方っていうのは、一つの癒しの見えざるものにゆだねた、そういうもので癒してあげたいというものがあるっていうか。ちょっと距離と違うかも知れないんですが。
有馬 同じものだと思うんですね。もっと言えば、それは神谷ワールドであってね、そうじゃない人はそれはもう駄目というだけの話だと思うんですね。
それでいいと僕は思うんですね。
でも逆に言えば僕昔ベローナに行った時にベローナに古代からある劇場があるんですね。そこには一切照明がないんですね。
でも多分あれは5月かどうか忘れたけども、オペラをやって、オペラをやる時に何をするかというと...
神谷 円形劇場ですよね。
有馬 そう、円形劇場にそれぞれがキャンドルを持って入って来るんですね。
人口照明は当然舞台に当たるんだけど、キャンドルの光によって素晴らしく美しい劇場がその瞬間に出来上がるんですね。光の距離感みたいなものが、なんか僕はあういうのがね、その地域を表すなと、もの凄く感動した覚えがあるんですね。だから今みたいに皮膚という話からしても、やっぱり光ももしかしたらそうなのかなと思いさっき聞いていた訳なんですが、その当たりどうなんでしょうか。
松下 そう思うんですよ、私も。
なんかさ、昔の劇場には照明がなかった訳で、この間なんかオペラ劇場で光を全部ロウソクでやるというのをやってたけれど、凄く感動するの。さっきアジア大会で私がキャンドルを3000個使ってやったのもそう、凄く強い光を出来るだけ、なんて言うのかしらサーチライトみたいなのを飛ばして強さを出そうとしてた、その距離感とは全く違う、反対にあるところ。
もうフッとすると消えてしまう様なものが凄く遠くに持って来て、ボリュームがあって、人に感動を与えることができる。
私、最初にミニマムって言ったんですけれどもそれが一番凄く人に与える感動だとか距離みたいなものがあると思う。さっきの沖縄の話もそうです。私もそう思います。
沖縄に住みたいと私は思ってたから、全く多分同じ、バリに行っても地の力を感じるし、そういうもので自分がどこに居るかと。
これは松下ワールドでしょうけども、私の感じ方っていうのも。
有馬 一番僕が感じたのかも知れないですね。
僕はね今の自分の作風っていうのはもの凄く意識的なんですね。
要するに、その個人に集結していくべきだという考え方なんですね。
当然地域というものがあって、その地域を背負ってそれぞれの生活があるんだけど、やっぱりそのおばあちゃんならね、そのおばあちゃんを徹底的に僕は追いかける訳ですね。
だから24時間っていうのはオーバーだけど、すっごい大変なんだけど、永遠とそのおばあちゃんについて話し込むわけですね。
最終的にはですね、おばあちゃんにあるその自分には「和紙が良い」とかいう話はだんだん消えていくんですね。
「いや、そんなんじゃないよ、私はとにかく運動がしたいだ」とかね。

例えば、変な話するけど、京都でやったプロジェクトの夫婦っていうのはもの凄く仲が悪かったんですね。
一人は、おじいちゃんの方はセンダイに住んでいるんですね。
センダイっていうのは鹿児島のセンダイです。
おばあちゃんはスイタに住んでいて、二人で会ったのは福岡で、そしてうちに頼みに来たんですね。
結果的に二人が話をしたのは、長い間一緒に暮らしていると喧嘩をして二人はバラバラに暮らしていると。
ちょっとかっこいい話なんですけど、なんとかね最後の二人の土地で暮らしたいと。すごく仲の悪い二人がね、なんとか意識を持ってやっていると。
...でその時に二人の話をずっと聞いていると、別に和紙でもなく、当然ね好みがあるからそれは当然やってあげるんだけど、もっと前程的にあるその人が持っているライフサイクルとか、もっとベーシックなものですよね、今の話しでいくとまさに皮膚で自分が、例えばそのおばあちゃんが3本の指でしかドアが開けられないんですよ。...ということはあれが回せない訳ですね。
何したかっていうと穴を開けたんですね、ドアに。
3本の指で手を突っ込んで開けることができる。それはそのおばあちゃんにしか出てこないんですね、そのプログラムは。私は近代というのはね、「モダン」というのがすごく浸透して、みんなが良くなったと思ってるんですよ。
一人一人が平等になるために近代はあったし、ここである意味この三角関係もそれぞれが同じように照明が当たっているのと同じように、例えば昔のお金を持っている人だけがね、凄く良い生活が送れるいう時代ではなくて、すごく近代はいいことをしたと思っているんですよ。
同じような値段を出せば、極端にいうと同じような場所でご飯が食べれる。というのは、みんなが平等になるために凄くテクノロジーが進化して、みんなが凄く努力した結論だと思うんですね。
で、その近代というのはみんなが平等になったけど、平等でなってないところもあるんですよ、アフリカとか。
実は僕は今中国に若干行ったりするんだけど、中国も平等になっていない、それはまだこれからやらなければいけない。でも少なくとも、日本はそうなった。
問題はその個人の部分にもっともっと入っていけば、もっとすごく不思議な面白いことが起こるんじゃないかなと思ったんですね。だからわざと聞いたのはそこなんですね。
だから神谷さんのレストランが、昔ソットサスという人に会った時に、ソットサスがね「僕は商業空間なんかつくっていない」と僕に言ったんですね。
「何つくっているの」と聞いた時に、「君が来た時に君と僕が一緒に食事をする場所を、記憶として残る場所をつくりたい」とこれもかっこいい話なんだけど。
神谷 かっちょいい〜。
有馬 格好良過ぎるですね、70歳のじいちゃんが僕達のために。「誠に申し訳ありません」と僕は言ったんだけど。それはそうなんですね。
だからなんか僕が言いたいのはそこなんですよ。レストランとか、照明にしても僕は当然建築家だから建築をつくるんだけど、それぞれの表現があって それぞれがそれぞれを大事にしていく時代に入っていく中で、なんかその前程にあるものをね、もう一回引っ張り出す段階がそろそろ来たんじゃないかな、 というのをすごい最近感じるんですね。
神谷 逆に有馬さんに質問したいんですけれど。
まぁモダンというのがあって、ある意味モダンというのは磯崎さんに言わせれば精神論なのかもしれないんですけど、 逆の言い方をするとテクニック論でしかないとも言えるものでもあるのかなという風に、僕はなんとなく思っているんですけど。でその中でいわゆるその物をつくるためのモダンという考え方が、いわゆるデザイナーの役割が、もうただ単に物をつくるという機械じゃないんだから、人としての優しさや魂込めてそこでフォルムであったりラインであったり使い勝手であったりっていう風にしてデザイナーという職種ができたと思うんですが、もうそろそろ次のデザイナーの役割は物を豊かにするための技術者ではない、次の世代に来た様な気がするんですけれども、それを有馬さん的な何か仕事のこれからのスタンスで行くと、どういうフィールドでその自分の表現というか、 ただ単につくって形で分かれという以前のそのいわゆる心構えみたいなことがないとつくっちゃいけない様な気がするんですね、なんとなく。
その心構えみたいな物がそれぞれだと思うんですが、上手く言えないんですけど、有馬さん的な何かその...
有馬 よく分かりますよ。
完璧にそれは考えていることがあって、まさにモダンというのはテクノロジーを進化させた、今の段階の結論なんですね、僕にとっては。 みんながお金を出さなくても本当によい照明器具の、昔は王侯貴族がものすごいお金をかけてつくった様な電球がね、結構安くてディスカウントで売っている時代で、という事はそれはテクノロジーがみんなのために平等にね、やっと獲得できる状態になってきたと僕は思うんですね。 そういう意味でもう一方では結構デザイナーというのは、まだ僕はある意味の予算、予算というのは下世話な話でいうところの予算を含めたことだけど、 結構そこにまだこだわっている人達も、人たちって僕もそうかもしれないんだけど、あるんですね。
だから、一つの貨幣価値という高い物が良いというものという時代から もうどんどんシフティングしてきていると僕は思ってるんですよ。
スーパーローコストでも最高のものがつくれるんではないかと本当に思っていて、 全く逆だと思うんです。
だから、通常の今日本も不況だとか色々言っているけれども、こういう時だからこそ徹底的安くて、実は今日うちのスタッフが大阪に行っていて、大阪で「コズミックワンダー」っていって、これはパリコレでは際物のファッションをやるグループがいるんですね、日本に。非常に彼ら自身若くてこれから有名になっていくグループなんで、僕は本当に坪10万位なんじゃないかなと思うんだけど、それをやっていて、うちのスタッフは今日行ってペンキを塗っているんですけれども、僕はそういう事がね、デザインというのはもう一回戻ってもよいんじゃないのかなと思うんですよ。
むしろね、自分の持っているパワーとかね、さっきの「五行」とか、僕はそこまでの認識は実はないんだけど、まぁ実はありながら逆にもう一回距離を持とうとしているんだけど、意識的なものだと思うんですね。 コンシャスなもの。
昔のあのボディコンシャスというあのコンシャスですよね。
神谷 ボディコンですね。(笑)すみません、僕が言うと違う方向になってしまう。
有馬 いいんです、それでいいんですけど。
自分自身の何かその持っているねデザインの力というのが何か一つのブランドによってバックアップされるという時代ではなくてね、非常に目の前にあるものから、極端にいえば、キリストの隣人愛みたいにね、隣人愛って面白くって100万人を愛しなさいって実は無理だと気づいた訳ですね。
だから隣から愛してくださいということなんですけど、それが隣人愛なんですね。
めちゃくちゃ挫折した訳ですよ、多分キリストは。無理だと、そんな100万人なんて とんでもないと、隣の人も愛せないのに、と絶対思ったはずなんですね。
神谷 いや、いい話じゃないの、はい。
有馬 それに近い事がデザインという世界の中に確実に起こっている。
だからトップブランドを追いかけるデザインではなくて、むしろ卑近な実例のなかに偏在する物として、ちょっと言葉が堅くてごめんなさい。つまり一般的にある物の中で例えば、安い電球持ってきて結構いいじゃんみたいなところから始まるデザインって言うのが僕はすごく可能性があると思うんです。当然苦しいんですよ、こっちは。
アフリカの話ですが、今まで1万円で器具を買っていたのが200円で買って設計料いくらみたいな話に実際なるのだけど、でもそれはどうでもいいんだけど、極端に言えば。
その時は自分で農業して暮らせばいい、ということですから。
私は本当にそう思ってますね。
なんかね、そこで僕は繰り返して言うけれども、貨幣経済でお金をかければという概念から逆転してしまったと思うんですよ、近代とは。それは多分照明もあるんじゃないですか。
凄く良いライティングシステムがものすごい廉価版で全世界に普及し始めた訳ですよ。
僕達は自ら首を閉めているんですよ。
神谷 そうですね。そうですね。
松下 さっきのレンゲの照明とかもそうですよね。凄く感動しましたけどね。
神谷 すみません、有難うございます。
松下 私もそう思うんです。
照明だけはずっとアナログだったんですよね。
線つないで付けて。ようやくこう付けて。調光しようとすると凄い大きい調光卓があって、何千万もして...ってすごい特別なアナログの世界だった。
今は違いますよね、デジタルだもの。
私が例えばニューヨークでやった物件はシーンを自分でデジタルの中でプログラムして、それをインターネットで送って向こうでインストールしてシーンを変えると、もう行かなくていいでしょ。
そして、「今、時期的に何とかだからじゃぁこんなシーンをつくってほしい」って言ったらこっちでプログラムして送ればいい訳ですね。
これは本当に距離とね、あと安くなって誰でもそれが出来る様になってきた。
有馬 だから逆に言えばね、僕も一応作家、作家家業とは言いたくないけど、作家的なことをやっているのは、本当はそうではないですね、意識は。もっと偏在する物ですよね。
でも結局は有馬の個性が出ちゃうんで、それはごめんなさいみたいなという状態があって、仕方ないと、すみませんという状態ですね。
神谷 それは仕方ないですよね。
松下 仕方ない。
有馬 それは徹底的にやろうと。
自分の考えることは徹底的にやろうと。
しかしそれは人を不幸に巻き込む事は必要ないので、そこについては混線させながらやりますけれど、今のさっきの話じゃないけど、照明も私がいうところの素材も、もっと言えば近代というものがもたらした構造もですね、自由に凄くみんながほしい物が手に入る時代になってきたと、だからこだわらなきゃいけなくなっていると思うんですよ。そこでだからどうでもいいと、あなたと僕も一緒だからと。
じゃなくて、だからA子さんとB男君は 違うという事を言っているだけなんですよ、僕は。そこを今日来られている方々も日常で何かやってらっしゃると思ってるんですよ、僕は。
松下 さっき有馬さんがおっしゃった、皆様の前ではおっしゃってないけど、自分がつくったら全て、自分のデザインでしてほしい、というデザインの契約の中に自分のデザインの...言っていいのかな、あの話とかはすごく面白いと思うんです。
有馬 本当は裏読みですよね。
僕の例えば先程の最後のつくったプロジェクトというのは基本的にその中に置かれるのは、すべて私の契約状態の中で僕が納得しなくては いけない。ということを実はある契約に盛り込んでる訳なんですね。
ただこれはちょっと皆さん引かれると思うんですけれども、実際はそうではないんですね。
実は気づいて頂きたい訳ですよね。
例えば一つの玄関にしても、その玄関の意味っていうのは100万通りあると僕は思ってるんですよ。
全然一つではない。
もしくは取っ手の意味も安直にどこかで買ってきた取っ手を使うんではなくて、もっと良くてこんなに面白くって、こんなに楽しいものが安くて、それにこだわろうよ、と。
それが自分探しにつながるんであれば、それを先導して行くのがもし建築家であれば、少しは悪ガキ有馬もね、最後にはこの人はちょっとは良い人なのかなと思われるのかなと本当に思っているわけ。
松下 認めましたね。
有馬 だから昔のそのヨーロッパなんかの文化っていうのは封建社会ですから、街を一人の権力者によって同じ色に統一したわけですね。
でももうすでにそれぞれがそれぞれの個性によって自分を彩って生きたいという思いは、絶対に否定は出来ないと思うんですよ。
それを街並みを統一するというのは 逆説的に非常に冒険的になってきていると思う。
一方ではせざるを得ないものもあります。
ただしもう一つ重要なのは、各個人が自分自身がいかに優れているか、もしかしたら優れていないか、現実に直面してそしてその中でもしかしたらこれには専門家を入れていい、とかこれは自分の良さをもっと引き出すべきではないか、とか。そういう事をね僕はやる時代にね、もうあと数年以内、僕はそう思っているんですけどね。
担っていくんではないでないかな、と。だから自分の光もね、 自分自身で捕らえてほしいし、その為には厳しいことを実は言うんですけど、僕のクライアントにはよく言うんですけど、その為のセオリーだと僕は思ってますね。
それを実現しているとしている状態がこれから価値として出てくるんではないかと思いますね。
神谷 なるほど...

MARIOT 有馬さん、神谷さん、松下さん本当に今非常に楽しいお話の途中なんですけれども、今日大変お時間の方が設定が厳しくてそろそろ終わりの時間になってしまいました。
最後にですね...ここで切らしてしまってよろしいでしょうか。
ご質問一つ位受けられるかと思うんですが、いかがでしょうかどなたか...
はい、分かりました。
それではですね、本当にちょっと途中でお話終わってしまっている形になっているかもしれませんけれども、 有馬さん、神谷さん、松下さんによります
MARIOTイベント2003 in 福岡トークセッションをここで終了させていただきたいと思います。
パネラーのみなさんどうもありがとうございました。

最後にもう一度大きな拍手をお願い致します。