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![]() 面出 時間もあっという間に過ぎて、あと3時間ぐらい欲しいのですが、そういうわけにいかないようなので。もう一度だけ、僕の映像を見せてもいい? 佐藤 もちろんです。 面出 これは明治神宮の御社殿復興の50周年記念で、11月1日にアカリウムというイベントをやったときの写真ですが、ここに闇があるんですよ。 佐藤 ああ。 面出 もうね、僕は感激的に涙するぐらい。 明治神宮の宮司さんたちが、ここには神がいて、そして芸術があるんです。 明治神宮というのはもっと皆さんに本当にきれいな闇夜を提供し、ここにアートと何か結びつくような、そういうところじゃないですかと言われる。僕はとっても、ああそんなすばらしい考え方があるんだと思い、明治神宮のこの全体の大きな森を、みんなでわずかにライトアップしようと提案しました。 これは、こんな美しい闇があるのだから、わずかな光ですごいきれいになるという実験をしているところです。 明治神宮の夜の絵はがきをつくろうということから始まりました。 要するに、光をわずかにして、闇をちゃんと残すということがこんなにきれいなんだということを言いたかったのです。 非常に美しい闇を与えられて、ちょっと光を考えてくれないかと言われたことは、こういう機会はなかったですね。 一般的に言うと、もう少しこうこうと照らすんじゃないのと言われるのですが、私たちはいつも期待を裏切って、あまりこうこうとしていません。 これは日本の建築ですから、やはり西洋の石づくりのものと違って、中からわずかな光が出てきたり、わずかな光を木々が拾ったりして、それで景色ができてくると思います。 ![]() 佐藤 自然のつくっている木の形と、人のつくったものと... きれいですね。 面出 屋根も本当はもう少し照らすとかっこよくなるかなと思いもしたのですが、昼間、建物というのは太陽の光で上からこうこうと照らされている。 そして夜になると、普通は中に宿った、ろうそくの光なので、そういうわずかなもので上手くいけば、それが一番きれいだと思ったのです。 森の中に何か妖精が潜むような、スタジオジブリ的な光をゆっくり動かしたようなことも試しました。 やはり、闇夜をいただいて、闇はこんなに深遠なんだということを思いながら光をつくるというのは僕らにとってもとても貴重な経験だったし、これを見ていただいた方には、「あまりこうこうと照らさなくても良いんだ」と思って頂けたのではないかと思います。 佐藤 ほんとですね。 面出 これは北参道なのですが、真っ暗でしたね。 ![]() 佐藤 でも、暗いから歩けないとかなかったのでは? もちろん年配の方は、そういう問題は当然あるとは思うのですが、でも、人って、もともといろんな感覚を持っているじゃないですか。 面出 そう。 佐藤 環境に対応する応用力も持っているし、体が反応する力を持っているので、そういうことをもっと信じた空間照明というんですかね。 面出 そうですね。暗いとやはり自分で慎重に歩こうとしたり、よく見ようとしたり... 暗いところは、人間の目は、暗いということを前提に、要するに月夜の0.2ルクスでも十分に昔の人は峠を越えて、月明かりを頼りにしながら街道を走った。 そのぐらいのわずかな、ほんとに0.2ルクスだ、1ルクスだという、そういう光で十分に安全に行っていた。 そういうことを考えると、明らかに江戸時代より以前の人のほうが、もっともっといろいろなものを感じたり、光に対する人間的ないろんな機能というのを持っていたんでしょうね。 佐藤 そうでしょうね。 面出 ...というようなことで、いい時間になってきましたね。 佐藤 今日、お話を聞いていて、やはり先程申し上げたのですが、わかるということをあまりにも追い求めると、合理主義、近代合理主義のなれの果てという、ある意味では今ですが、とてもある意味で大問題をいろいろ抱えている。 面出 そうですね。 佐藤 ですから、わかるということを、すべて追い求めるだけがいいのだろうか。 実はわからないところというものがとても魅力的に我々の生活を支えてくれてたし、豊かさというものを感じさせてくれてた、与えてくれていたのかもしれない。あと暗いとか、怖いとか。 面出 そうですね。 佐藤 ネガティブに思われてきた言葉というのが今とても意味を、持ち始めているような気がするんですよね。 面出 すごくいいですね。何か締めの感じでしたよね。 海外で仕事をやるようになって、僕ら日本の照明デザイナーに期待されている光の感覚というのが、今まで欧米がつくってきたデザインも含めた文化とは違ったものを期待されていたり、我々のところに何か違う価値観を求めてきているようなことを、僕は感じます。 佐藤 そうですね。面出 そのときに、なかなか明確にイエス・ノーと言えないというものを、ネガティブではなく、もっと価値として、光でも影でもないところ、その中間のグラデーションが僕らの価値なんだというふうに、胸を張れるようなことを求められているのかもしれないと感じます。 佐藤 ほんとですね。にじみとか、ぼかしとか。 そういうところにすごく文化がはぐくまれてきたのに、それがゼロか1かというところで、全部はっきりさせられてしまう。 これはもう言われていることですが、中間がとても大切なんだと。 最近、「ほどほど」という言葉が私はすごく好きなんですよ。 好きというか、大切なんじゃないかと思うのです。 手を抜くという意味での「ほどほど」ではなく、ほどほどのところを徹底的にやるというのでしょうか。 というのは、ほどほどのところでとめるから多くの人が入ってこれる。 例えば照明もそうかもしれない。 徹底的にやらないことによって、そこでいろいろな想像力をそこにかかわった人が持てるといいますか。 その人なりにその空間に、物にかかわれる。 何かそのあたりに21世紀のデザインのヒントもあるような気がしています。 面出 ありそうですね。デザインをやり過ぎない、ほどほどに。 そしてもう一度、光をリセットして闇から出発したい。 リセットしながら、何かもう一度、自分たちが何者であるかみたいな話を解剖するというか。 佐藤 世の中としては経済的に元気がないと言われていますが、でもそういうときこそ、光とか音とか空間とか、何かお金で手に入らないものを楽しもうよという、何かそういう豊かさを追い求める。 面出 僕はチャンスだと思います。 何か新しい文化が一つの価値観をきらきらさせて出てくるチャンスだと思うから、皆さん、そういうつもりで明るい...明るい未来じゃないな、暗い未来をか。(笑)。 佐藤 おもしろい。 面出 少しとりとめない話ではございましたが、私たちの話はこの位にさせていただきたいと思います。 MARIOT どうもありがとうございました。 今日はたくさんのおもしろいキーワードをいただいたと思います。 生活が記号化してきている、それを過剰なあかりが随分促進してしまった...これは私たちにも大いに反省すべき点があると思います。 ぜひ今日でも、家に帰って部屋の中を真っ暗にして、面出さんがおっしゃる小さな光、闇の再認識というのをしてみると、明かりに対する考え方というのがまた発見ができるのかなと思います。 あと佐藤さん、是非、「あかりの解剖展」期待してます。 佐藤 いやー、まずい課題をいただいて(笑)。悩ませていただきます。 MARIOT 是非、期待しております。 今日は、どうもありがとうございました。(拍手) |
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