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Mariotトークセッション


【 故郷、京都に教えられたこと「断定しないからこそ想像が広がる」 】

風間 仕事のやり方はそれぞれかもしれませんが、見ていらっしゃるポイントが同じという気はします。
先程おっしゃった観察力。
私がいろいろな方にインタビューしていて一番思うのは、皆さん観察力が違うということです。

特にクリエーター、物をつくり出す人の見方というのは生半可ではなく、つい最近そのお話を聞いたのですが、物を見るということは、あまりにもじっと物を見過ぎて、この物の名前を忘れるぐらい見ることだとおっしゃった方がいらっしゃいました。

堀木 意識が要るんだと思います。
人間の機能はすごくすぐれているので、眼球に映っていることを見ていることだと勘違いしている人がたくさんいる。
鼓膜が震えていることを聞いていることだと勘違いしている人もたくさんいると思うのですが、見ようとして見ないと、人間なんて、見ているものが脳の中に入ってこないんです。
聞こうとして聞かないと、脳の中には入ってこないんです。
眼球に映っていることを見ていると勘違いしてしまうと、それは大変な間違いになってしまいます。
ですから、いつも意識を持って、見ようとして見るということがやはり観察力なのかなと思います。

仕事をしていて大事なことは、これをこのまま進めるとこんな危険性があるということがわかること。
私たちも足場に登るような仕事が多いですから、そういう想像力も必要です。


風間 人を育てるというお話は、裏返せば、自分も育てられてきた、育まれてきたということがあると思うのですが、内原さんはそういう意識でいうといかがでしょうか...
私はインタビューをしていると、その人がおっしゃっている言葉によって、その人に育てられているという気がします。他に、土地、ふるさとなど...


堀木 3人とも京都生まれですよね。

風間 そうです。例えば自分が京都に育てられたと思うことはありますか。

内原 それは大いにありますね。
もともとはすごく嫌でした。中学、高校の時期、すごく辛かったです。
小さい頃は大丈夫でしたが、友達同士のコミュニケーションもなかなかストレートにならないなということを感じ始めて、何となくそういうことがまどろっこしくなったりした時期がありました。


風間 どういう部分でそれを感じられたのでしょうか。

内原 自分が先導して、関西弁で「よっしゃ、行くぞ」と引っ張っている人間は気持ちがいいが、引っ張られる人間は結構、何でやろうと思ってしまう。
それが東京に行くと、今日何時にあそこに行くから、一緒に行こう、ばらばらで行こう、きっちり決めるわけです。
それは性格がきっちりしているとか、ルーズだとかということではなく、コミュニケーションの話です。

例えば、京都の方の話し方の特徴として、ものごとの好き嫌いなどはあまりはっきり言わないというのがあると思います。
それはつまり、相互に想像の世界で、もっとたおやかに、うるわしくいこうよというようなサインのように思っています。
例えば京都の庭も、中央にシンボリックなものは据えられていませんよね。


堀木 そうですね。

内原 間とか空間ということもすべて、断定しないから想像が広がるということがあると思います。

堀木 やんわり、はんなりね。

内原 そういうことについて最近、京都で生まれ育ってすごくよかったと思うようになりました。
釈然としない、優柔不断ということではなくて、そのことをきっかけにどんどん想像が膨らむということについては、たくさん得られることがある。
それは言葉一つとってもそうだなと思います。


風間 確かに京都のそういう文化は、子供のときにはわからないかもしれませんね。
年を経ないとわからない部分っていうのはありますよね。


堀木 私は京都生まれですが、5歳までしかいなくて、どちらかというと大阪育ちのなにわっ子です。
でも、今また京都に住んで、京都で仕事をしているので、京都の良さはすごくわかります。
四季折々に祭事があったり、陰(いん)と陽というか、空間に対しても陰(かげ)と光という存在がまだまだある町だと思います。
よく言われる言葉ですが、革新と伝統が町の中に混在しているんです。
そういったところに身を置いていると、道を歩きながらでも自然と日本の美学について考えるようになるし、それを日本的な感性として自分自身で血肉化していく。
そういう意味では、京都に住んでいて非常によかったと思います。

自分が育まれたものというと、私の場合は、無知であること。
つまり、無知ということが私自身を育んだと思っています。
私は高校を卒業して銀行に行って、24歳のときに今の世界に入りましたが、無知ということはやはり自分を育むんです。

なぜかというと、頭のいい人、できるとわかっている人は、できないことも知っています。
ですから、できないと頭の中で思ったことはやらない。
でも、私はできないことを知らないから、やってみるんです。
そうすると、「あれ、できちゃった」というようなことがすごく多い。

また古い伝統産業の世界ですから、固定概念、これはこうあるべきというようなことを、職人さんたちは断固としてお持ちなのですが、無知であるがゆえに固定概念がないということも、自分自身を育んでいたのではないかと思います。
私は、和紙に対する情熱とか使命感は誰よりも持っていると思うのですが、それは無知から始まったことだと思っています。


内原 先程あやふやであることから育まれることのお話をしましたが、例えば日本は外国に対して、今までは相手に合わせて、「イエス」「ノー」という断定的な答え方をしてきたかもしれませんが、よくよく考えてみると、「イエス」という答えよりも、そのイエスという答えをきっかけに一体どれぐらいのことを考えているんだということがコミュニケーションされないと、コミュニケーションされたことにならないと思うのです。

そう考えると、私は自信を持って、ファジーな答えを主張したい、何を今自分は考えているのか、あるいは、自分の答えはイエスかノーの間かもしれないけれど、イエスかノーがはっきりしないことよりも、その後ろにどれだけのことがあるかということにちゃんと自信を持ちたいと思います。
表現の仕方は様々で、「僕は白だ」「僕は黒だ」というやり方はあったとしても、中間の非常にわかりにくい世界観、これは我々の光にとってもそうだと思います。
照度100ですと言っても、誰もそれに「よし」を出さないことはたくさんある。
そういうことも含めて、はっきりしないというスタンスでも自信を持っているということはすごく重要なことだと思っています。


堀木 そういうのは自分を信じるという信念とも言えるのでしょうか。

内原 いえ、私の解釈ですが、日本や京都の文化が育ってきた背景に、すぱっと切ることによって修練、あるいは磨かれるというだけではないものがたくさんあって、私はどちらかというとそれが気になります。

例えば、少しそれるかもしれませんが、先程の耳をそばだてるという話。お香は鼻で感じますが、「きく」と言います。
すばらしい音楽に出会ったら、まるで絵にかいたように見えたとか、あるいは少し意味は違いますが、観音様というのは「音」を「観る」と書くでしょう。
そういうふうに言葉を入れ替えていくと、とても想像的になります。
つまり、耳をそばだてるように香りに神経を集中する。
それは日本語としておかしいようなのですが、そういうトーンというか、グラデーション、あるいは断定的ではない世界観の中での方が、伝える量が増える可能性もある。
そう考えると、日本人はそのことをもっと考えて自信を持てればいいなとずっと思っています。


風間 内原さんの作品にもそういう精神が含まれていると思います、そういうあやふやさや移ろいが。

内原 私は堀木さんの作品を見ると、うらやましくなります。

風間 まさしく気配をつくってらっしゃいますね。

内原 しかも、非常にインパクトもあります。
例えば、我々が照明デザイナーとして、ある空間の明るさをデザインして、ここはもっと暗い方が心にしみ込むからと、どんどん暗くしていって「それじゃ見えないよ」と言われたときに、一体どこで価値観を共有するかと言いますと、まずはお互いにキャパシティーを広げましょうとなります。
それは、切り口をシャープにして、結果だけを主張するのとは随分プロセスが違います。
ですから、堀木さんと私はいろんな意味で対照的で、そういう意味では非常に刺激的だと思っています。


風間 白黒簡潔に決められない部分に立っていることに自信があるんですね。
その位置に自信がある。


内原 そこで自信をなくしたら、もうどうしようもないんですよ。
そういう価値観の幅とか、あるいは色香は少し移ろうものだということにしっかり自信を持つことが、日本人にはすごく大切なのではないかという気がしています。


堀木 それは確かに大事ですね。

風間 今のお話は、まさしく堀木さんの作品でもありますよね。
日の光の入り方で、風合いもその空間も全然違う姿になります。


堀木 そうですね。
私自身は自分の仕事に対して、和紙を介してこちら側の“空気感”をどうつくるかということであったり、和紙の向こう側の“気配”をどうつくるかということが仕事だという意識を持っています。
ですから、あいまいな部分は確かにありますが、私たちの場合は、比較的お客様に説明が必要ないものを作っているのかもしれませんね。


風間 もうわかっているわけですね。

内原 さらに、作品ができ上がったときに感じさせる説得力は非常に強いですよね。

堀木 それはやはり素材の強さですよ。

内原 それを活かしておられますよね。
和紙というのは、我々素人の目から見れば、表面にある物性だけを見ようとしてしまうので、やはり紙という感覚ですよね。


堀木 そう、「たかが紙」です。

内原 それが、堀木さんの作品を通すと全然違うものになる。

堀木 「されど紙」にしたいなと思っているんですけどね。

風間 そうやって物体としての紙が光を通すことででき上がる空間は見事ですものね。
光の持つ力、空間をつくり出す力はすごいなと思います。


【 脳は頭蓋骨を通して光を感じている 】

堀木 本当にそうですね。光一つで全く違います。
間接照明がなぜ居心地がいいか、ご存じですか。実は昨日お医者さんと会食しまして、ちょうど今日こういう機会があるので、なぜ人は間接光を心地いいと感じるのか、そのお医者さんにお伺いしたんです。
普通「人間の心はどこにある?」と聞かれたら、胸を指しませんか?
胸のところにハートを描いたりして、心臓の辺りを押さえますよね。
でも、実際に心というのは脳にあるんですよね。
心臓で物を考えてないわけです。脳で考えてます。

脳というのは、頭のてっぺんから太陽の光線を感じて、頭蓋骨を介して光を感じているのですが、頭蓋骨を介して感じた光と目から感じる間接光というのが、質が同じらしいんです。

内原 ちなみに何科の先生ですか?

堀木 内科です。
それで、睡眠に関わるメラトニンホルモンとか、ニューロトランスミッターと呼ばれる神経伝達物質をつくり出すというんですよ。
例えば不眠症の人には、昼間ちゃんと太陽光線に当たりなさいと指導したり、夜は間接照明にしなさいと指導したりするそうです。
また、お母さんの子宮の中には光が通るというお話も聞きました。
太陽に指をかざすと透けますよね。
それと同じように、お母さんのおなかの中も透けていて、それが間接光になっているそうです。


内原 ものすごくきれいだと思いますよ。

堀木 お母さんの胎内環境で感じる光とか、頭蓋骨を通して脳がてっぺんで感じている光というのが、人間が目から感じる間接光と同種のものだそうです。

内原 それは要するに脳に与える光ですか?

堀木 脳に与える光です。
ですから、間接光を脳で判断しているということです。
夜は闇に包まれていて、一日の闇の最後の時間は明け方ですよね。
明け方は、組織修復ホルモンが発生する時間だそうです。
ですから、それが発生する直前は、人間の体が一番弱っているときということになります。
明け方、その組織修正ホルモンがぽんとピストルで撃たれるように体内で出るそうです。
夜明けに亡くなる方が多いですよね。
それは、組織修復ホルモンが発生する直前に亡くなっている場合が多いからだそうです。


内原 それは、ぎりぎりそこで力尽きてしまうということですか。

堀木 そうですね。
産婦人科の先生によると、お産が一番多いのは明け方なんだそうです。
組織修復ホルモンがパーと出た瞬間、子供が生まれる。
つまり人間というのは、そのようにもともと光と闇に支配されている動物だということです。


内原 すばらしい。これはメモして帰ります。

堀木 私もびっくりして、昨夜は興奮して眠れないほどでした。
風間さんが経営していらっしゃる「さのわ」という和カフェが仁和寺にあるのですが、そこで3カ月に1回ほど、サロンを開かれています。
私が伺ったとき、ゲストで来られていたのがイタリアのマエストロで、チェロやバイオリンなどの弦楽器をつくっている方だったのですが、その方のお話も興味深かったです。
弦楽器に使う木をいつ伐採するかというお話でした。
月が満ちていく時期、あるいは満月の時期に木を伐採すると、大変なことになるそうです。
満月に向かって木はねじれていくのだそうです。
ですから、その時期に木を切って楽器をつくっても、楽器になった後でねじれ返しが起こって、いい楽器にならない。
ではどういうときに切るのかというと、月が欠けていくときなのだそうです。

考えてみれば、月が満ちる、欠けるというのは、満ち潮、引き潮の時期と非常に合致しています。
満ち潮、引き潮といえば、かなり大きな引力ですよね。
海の水が上がったり下がったりするわけですから。地球上にあれほどの引力が起こっているということは、つまり、人間も含めて、地球上にいる生物すべてが、月の満ち欠けに影響されていると言えます。

白い蛍光灯の光は、覚醒させる光ですよね。
そうすると24時間いつでも蛍光灯の光を浴びているという状況が、いかに自然に即していないことかということもわかるし、精神的によくないということもすごくよくわかります。


風間 でも実際には、今日は満月だからどうとか、日々感じているわけではないですよね。

堀木 今は太陽暦になっていますが、昔は陰暦でした。
ですから、すべてが月の満ち欠けに影響されていたんですね。


内原 光は本当に当たり前のように存在するもので、なかなかそういう研究も進んでいませんけれども、そういうお医者さんのお話を聞くと、すごく説得力がありますね。
地球上の人間は、厳密には一人一人の立ち位置によって太陽の入る角度が違います。
北極点、南極から赤道まで、太陽の当たり方はすべて違って、それを毎日毎日繰り返していれば、性格もライフスタイルも変わるのは当たり前。
でも、それが光が違うからだと語られることはほとんどないですよね。

食べているものが違うとか、吹いている風が違うとか、地形が違うとか、それは「風土」という文字にあらわされるように、風も土も違えば人間も変わってくると言われていますが、そこに絶対的に光が関係しているということを、今日来ていただいている方も含めて我々はもっと知っていなければいけない。
「光育
(ヒカリイク)」もそういうところから始まるのではないかと思います。
これからですね、光のいろいろは...