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Mariotトークセッション


松山:皆さん、こんばんは。松山です。

今日は会場の中に存じ上げている方も結構多いと思いますので、何をしゃべろうかと随分考えましたが、あんまり突っ込みがないように是非お願いしたいということと、質問は一切受け付けないということでお願いしたいと思います
(笑)。 
今回、「光育
(ひかりいく)」というテーマについて話してほしいという依頼があったのですが、僕は小さなスペースというか、限られた、自分が居心地のいい場所では意外とおしゃべりでにぎやかなんですけど、実はこういう不特定多数の方たちの前で話すというのは本当に苦手です。

僕は幼少期にちょっと言語障害を抱えてということもあるんですが非常にあがり症で、このオファーを受けるのに随分悩みましたが、僕とよくコラボレーションをさせていただいている照明デザイナーの荒井さんと一緒にということで、心強いなと思ってお引き受けしました。

これは造語になると思うのですが、「光育
(ひかりいく)」というテーマに対して自分たちがやっていることも踏まえてどのように皆さんに語ることができるかということを、荒井さんと2〜3回打ち合わせしてきました。
しかし、ほとんど最後は飲んで終わって、何もできなかったということがあり、またお互い今仕事もパンパンなので、正直言ってこれはぶっつけ本番の状態です。
僕の事務所でも、昨日の夜、慌ててスライドをつくってきたという状態です。
だからこの先90分、どうなることやらということで本当に準備不足で申しわけないんですが、僕が何かできればいいかなと思っています。

「光育
(ひかりいく)」をテーマにしたのは、いろいろあると思うんですが、パンフレットの中に「心に影響する光」という副題がありました。僕はこの言葉にすごく引っかかりました。

僕は今年で事務所設立から10年になります。
10年といっても、最初の3年は仕事がなかったので実働7年ぐらいになるのですが、随分建築を急いでつくってきました。
自分の建築も振り返ることなく今までやってきたのですが、この機会をいただきまして自分の建築を振り返りますと、やはり自分が育った影響、原風景といったものが自分の建築に何か根づいているのではないかということを自分なりに少し発見したということがありました。

僕は海で育った人間です。
荒井さんは山で育った人間ということで、全然違う環境で育ちました。
ただ、今仕事でコラボレーションしているという状況もあって、そういう2人の原風景を少しだけ皆さんに紹介しまして、「光育
(ひかりいく)」というテーマにつながっていければいいかなと思っていますので、よろしくお願いいたします。


荒井:よろしくお願いします。
今ご紹介にあずかりましたライティングスタジオ、荒井と申します。
松山さんは九州では若手のホープと言われていますけれども、こうやってご一緒させていただく機会を持てて非常に幸せでございます。
ある意味私もファンの1人として、ギャラリーとしてちょっと横で見ているようなところもあるのですが。

先ほど松山さんからありましたように、原風景の話から、この先の話がどんどん深くなってくると思うんですが、建築をするにしても光をそこで考えるにしても、やはり自分たちがどういうところで育ったかとか、どういうものを食べていたとか、そういう根底があるから今このように同じ環境のもとというか、同じ発想...まあ、たまには全く食い違うことがありますけど、コラボレーションさせていただけるのかなというふうに思っています。

今回のMARIOT EVENT「光育(ひかりいく)」は福岡が第1発目ということで、先陣を切って盛り上げていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いしておきます。


松山:先陣を切って盛り上げるといっても盛り上がるかわかりませんが...
ではそろそろ始めていきたいと思います。


 【松山将勝の原風景】

まず僕の原風景からお話しします。
僕は奄美大島という島で生まれ育ちました。
奄美大島ってご存じない方もいらっしゃるかもしれませんが、本州と沖縄の、ちょうど中間の地点に鹿児島から380キロぐらい離れた場所に位置しています。
最近では中孝介
(あたりこうすけ)さんというシンガーだとかが出た島です。

奄美大島は珊瑚礁があって当然海に囲まれているんですが、集落が点在していて、家と家がかなり近い状態で寄り添うように建ってるという状況です。
そして何といっても、台風がすごいんですね。
島の台風って、皆さん経験された方は少ないと思うんですが、風速60メートルとか70メートルという世界で、これは本当にすさまじいです。
ですから防風林だとか防波堤とかいうものがまずあって、あんまり高い建物はありません。軒が低い集落が一般的な奄美の風景です。

では、奄美の住居ってどんな感じかといいますと、これは比較的古い住宅ですが、昔は母屋があって離れがあって、分棟形式なんです。
母屋も台所、トイレというものがすべて分棟になっています。
なぜ分棟になっているかというと、台風の力っていうのはすさまじいもので、被害に遭うと一遍に持っていかれちゃいますから、逆に母屋を持っていかれてもトイレは残る、台所は残る。
台所とトイレが残れば生活できるという先人の知恵で、このような分棟形式になっているというのが奄美の家の特徴です。

大体このように開放されています。
そしてぬれ縁があって、奥のほうに三味線とかを弾いている人たちが見える。
なぜこのように開けているかというと、八月踊りという、一軒一軒回ってその集落の人たちが踊りを踊るというような祭りがあって、そのために開放されてるんです。
これは究極ですが、台所なんかも、土間のたたきでつくられているところもいまだに残っています。

また、奄美は黒糖と大島つむぎが産業なんですが、自宅の横に小屋を設けまして黒糖をつくっている家もあります。
先日、僕が奄美で物産館のようなちっちゃな建築を、つくったんですけど、そこで行われた棟上げの風景です。
今は僕も福岡を中心に住宅をつくっていますが、集落の人が全員集まって朝から飲み食いが始まって、夕方5時ぐらいに子供たちも集まり、もち投げをするという風景は、福岡では経験をしなくなりました。しかし、これは奄美でのつい先日の出来事です。

これが僕の生まれ育った集落です。
とにかく今でも地域のネットワークはすごく身近で、先ほどの写真に出てきたように家がかなり開放されている状態です。
閉ざされていくという状態じゃなくて、すべてが外に対して開放されていくという住宅が多くて、集落の小さな路地があるんですが、路地をずっと行くと常に人々の生活が垣間見られるというようなつくりになっている。
少なくとも僕の集落はまだ昔の文化が根強く残っていますので、そういう環境になっています。


 【反原風景 - 閉じた住宅】

2年位前、僕が幼なじみの友人から住宅の依頼を受けました。
昔の奄美の家は分棟形式ということで、僕も何か新しい分棟型の住宅をつくれないかと、模索しました。
これが大体決まってきたときの模型なんですけど、母屋があって、実際離れは構造的にはつながっているんですが、水回りというかお風呂が分棟によって、何か昔の奄美の分棟型住居のにおいみたいなものを出せないかというのでつくった家です。

プランは、とにかくお金もないっていうことで単純なプログラムになっています。
子供が4人いまして、家族は一緒に和室で寝て、居間は台所が中心であるという形になっています。
あとは水回りがちょっと母屋から突き出た状態になっています。
この家に関して何が伝えたいかというと、先ほど奄美の分棟型住居の写真があったように、この地域は家が結構開放されてるんですね。
それはなぜかというと、やっぱり島の人たちみんなが地域のネットワークを大事にしていて、会話だとかコミュニケーションというものを積極的にやってるんですけど、そういうのが背景にあって家づくりがされているというのがあるにもかかわらず、僕はどちらかというと閉じてしまったんですね。
町に対してかなり閉じてしまった住宅をつくってしまって、それがすごく後悔というか反省というか、棟上げのときにはちょっと崩そうかなと思ったぐらいでした。
先ほどより原風景という話をしていますけれど、それに対して何も考えてないような住宅をつくってしまったというのが僕にとってはちょっときつかったです。

形もこんな形になってるんですけど、結構批判をされまして、地域の人たちからも何だこれはというようなお叱りも受けました。
この壁はガルバリウム鋼板の波板なんですけど、通常島では屋根で使う材料ですが、それを壁で使っています。
比較的台風に強いんじゃないかということもあって、ローコストだったのでこういう材料を選定したんですが、結構暑いとかそういう問題もあったり、雨漏りしたりして、いろんな批判にさらされた住宅です。


 【原風景 - 開放的な住宅】

その後、こういう経験をもとに石垣島というところで設計をさせていただくチャンスに恵まれました。
石垣島は沖縄からもっと南のほうに行きます。
そこの南西に位置する白保という地域に住宅を設計させていただく機会に恵まれました。

これが今の石垣島の白保という地区の集落の様子です。
とにかく島は暑いので、昔の家はこういう軒を出して、中はすごく暗い。とにかく影をつくるのが、島のつくりになっています。

これがスタディー模型です。
ここで僕は、島の暮らしをどうつくっていこうかということを考えました。
そこには島の暮らしっていうのはどこからでも入ってくるというのが一つありました。
玄関を構えていても関係ない、どこからでも入ってくるという環境があって、じゃあもういっそのこと、どこからでも入ってこられる場所をつくろうというようにしました。

それから、とにかく暑いので影をつくろうと。影をつくることで、室内に対しては熱負荷の軽減になるということで4種、土間を設けまして、ここに深い廂をかけました。
中は単純ですが、プログラムは非常に変わっています。
ここの中廊下を介して上が海側になるんですが、畳場になっています。こちらが台所と食事するスペース。
実はこの家はプライベートなお部屋は持ちません。
家族と3年ぐらいかかり住宅をつくったんですが、家族がずっと一緒にぎりぎりまで3人で仲よく暮らしていきたいということがあって、個室の状態はできるだけつくりたくないと大きな部屋を二つ設けまして、あとは納戸と土間と奥さんがちょっと趣味をするお部屋があり、その他個室は一切ございません。
そして冬場の寒いときは南側の畳の部屋で寝る、夏場の厳しいときは北側の土間の涼しいところで寝るという単純なプランになっています。

これは西側の西日を防ぐ格子です。ここに影をつくろうとしました。
そしてここに、どこからでも入ってこられるような入り口を設けています。

こういうものがやはり僕の原風景ではないかと思いました。
島の暮らしって、こんなことなんです。通り行く人たちに開放されていまして、家族がちゃぶ台で食卓をしているというシーンが至るところで見えるような環境になっているんです。僕はそういうものをつくりたかったのです。

 【荒井勇人の原風景】

荒井:私は奄美大島に行ったことはないんですけど、今の話を聞きましてぜひ行ってみたいなと思います。
冒頭にも話がありましたように、松山さんと、自分たちが生まれ育った町とか風景とかというものが「光育
(ひかりいく)」の原点じゃないかなと感じていまして、私もここでおらが村自慢じゃないんですけど、私の生まれたところをご紹介したいと思います。
実は九州とは全然縁のない和歌山、紀州なんですが、紀伊国屋文左衛門の有名な木材の町です。

那智の熊野山道ってご存じですかね。
3年ほど前に世界遺産に登録されました熊野古道の発祥の地、那智、本宮、速玉神社、その一つの那智に火祭があります。
この火祭りも、いま日本の三大火祭りと言われています。
重さは約50キロのたいまつを掲げて、白装束で登っていくんです。
もともとここは日本一の滝がありまして、そこの水の神様、万物の源である水の神を呼び起こすというならわしのお祭りです。
日本全国、こういうふうな火を祭る、神を祭るというのは多々あると思います。

これが頂上から見た山並みです。
この辺が私のホームページにも書いていますけど、幼少のころによく遊んでいた古道です。
この上のほうには沢ガニがとれるところがあって、よくおやじと遊びに行っていました。
世界遺産に登録されてから石積みのコケがどんどん有名になったんですが、人がよく来るようになって床の石のコケがはげちゃってるんですけど、昔はもっと青々としていた感じです。
これが那智の滝、日本一の滝という、水の神様が祭られているところです。

私は、建築家ではないので、どちらかというと自然から受ける影響、自然から学ぶ光というものが心の中にあって、それをコラボレーションさせていただく建築の方やオーナーの方にいかに提供できるかと考えています。
照明というのは決して器ではなくて、光であったり影であったりすることが間違いないと思います。
その中で先ほど松山さんも言われたように、松山さんは環境的には海であって、私はどちらかというと山ですが、正反対に見えて本当は腹の中は一緒と思います。
いま与えられたツールというのは、どうしても人工光になりますが、そのようなツールを使って、決して器ではなくていかに建築の造形、ディテールを生かすようなもの、あとは人を喜ばせるというものを、デジタルを使っていかにアナログに見せるかというものが、光というか灯かりの極意じゃないかと考える中で、今ご紹介した風景が私の中の源でございます。