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Mariotトークセッション

角舘:何となく微妙に伝わってくれたらいいかと思っていますが、僕も松岡さんも、何か今までの建築に対するアンチテーゼ的な気持ちがちょこちょことあって、ものをドーンとつくって「どうだ」というやり方から、もうちょっとちゃんと地面に足をつけて設計していきたいと思っています。

本当にさっき言っていた、100年後どうなるんだとか、そういうことに対してきちんと責任を持てる。ちゃんと物を言える。
さっき建築側の役割という話をしましたが、僕みたいな照明家の役割は何かというと、ライトアップして「どうだ」という時代から、当たり前の話なんだけれど、実は光はもっともっと人の生活に密着しているものであると。
そういうものに対して、本当にどういう光が必要なのか、住宅ではどうなのか、屋外ではどうなのか、駅前ではと考えていくと、実は結構、簡単に解答が出てくるんじゃないかと思っています。

そういう中で何か10年後、20年後、30年後みたいなものに対して、どうあるべきかをちゃんと語れる。
また僕みたいな、照明家とは言っているんだけれど、実は今言っているような話は、まちづくりだとか都市計画だとか、そういうコンサルタントが話していることと根本的にはあまり変わらなかったところもあったりするのですが、そういう枠組みというか、土木の人たちがどうのだとか、建築がどうの、都市計画がどうのとかいう話ではなくて、少しそういう枠組みがなくなってきているという感覚は何となくしています。

例えば、文化財を普及するようなプロジェクトがあります。
当然それは文化財関係の人がやっています。
ところが、その文化財が立つところが静岡県の道路にはみ出てしまうという話になってくると、今度は道路局とか、町の人がやってきます。
そうすると、今度だんだんまちづくりの話になったり、今まで文化財だけをつくっていた人が、町づくりのコンサルティングをしている。
そういう意味では、枠組みみたいなものが、すごく緩くなっているような感じはしますが、どうでしょう。


松岡:枠組みそのものは、まだ制度的に緩くはなっていないと思います。
なりつつあるのかもしれないけれども、枠組みがあることのメリット・デメリットをきちっと認識して、その間を隔てている扉を開ける役割をだれかがやっていかなければいけないと思います。
私たちのジェネレーションは、そういう役割が降ってきたというか、かなり幸運なジェネレーションとも言えるんじゃないかと感じています。

幸運というのは、経済的に幸運かどうかは別です。
例えば、角舘さんが今やられた仕事とか、私の仕事の幾つかも、ばんばん設計料が入るとは限らないし、むしろ手弁当みたいなところも否めない。
しかしながら、だれかそれをやらなければいけなくて、しかも私たちだけがやらなければいけないみたいな感じよりも、もっと住民の方とかが、何か違うなとか、何かしなければと思っていただける時代に、ちょうどミートしたという気がします。


そうですね。
最初は、そういう時代の流れに対して僕自身は、ちくしょうとも当然思っていましたね。ちょうど僕たちが卒業するとき...


バブルだったもんね。

同い年なんだけれども、大学院を卒業するときは、きっと5月の連休前にほとんど全員内定出ていたような時期だった。

うん、でしょうね。

それも一線のゼネコンだとか設計事務所だとか、みんなバーッと散っている中で、僕は秋ぐらいまではどうしようとずっとポケーッとしていたんだけれども、そういう時代からすると、かなり変わりましたよね。

そうですね。

でも、今言ったみたいに、何か逆におもしろいのかなと思っています。
僕なんかも学生のときに建築雑誌を見て、「これ、すげえ。見にいっちゃおうかな。」とか言って、京都まで行ったりとかしました。
でも何か、やはりどこか引っかかっていました。そういうモニュメンタリーの建築に対して、本当、これ何なのかなと見ていました。
そういうものが何となく求められなくなってきた中で、もう少しちゃんとできることはきっといっぱいあると思っています。
そういう中でも、デザインというのはいっぱい表現できて、そういうところに今僕自身も興味があるし、きっと自分たちの代ぐらいの人間たちは、比較的みんなそういう感覚を持っている人が多いと思います。


今日の私たちがやったプレゼンは、別に示し合わせていたわけではなくて、たまたまこういう展開になりました。
さっきの住民・コンサル・行政とかも、割と同じような図式を使ってました。
決して、これは申し合わせたわけではありません。
ただ、いろいろなところでこういう試みが起こっているんだなと、私も角舘さんの話を聞いて思いました。


言いかえれば、こういう何かいろいろな可能性があるという話ですよね。

はい。

逆に、今すごく停滞しているようなんだけれども、物の言いようによっては、いろいろなことが動いている時代なのかというふうには思います。

その背景には、非常に批判的に言えば、私たちの職業であるつくり手、デザイナー側が主張をガンガンして、それを説得してきた時代がかなり長くあったんじゃないかと思います。
後の人はみんな、それについてきてくださいといった感じです。
もちろん、デザインはリベラルではなくて多数決でもないので、デザインの方向性は必ずだれかが強い意志で貫いて、皆さんを引っ張っていかなければいけない。
そういう側面が必ずあるが、一人もしくは一つの企業だけが引っ張っていくのではなくて、いろいろな人たちと組んで合意形成をしていく時代になってきたと思います。
そして、つくり手のために物をつくっている、もしくは、ある特定の使う人だけに物をつくるわけではなくて、もっと目に見えないその後ろにいる社会とか背景とか、もしくはまだ生まれてない子供とかのために何か物をつくっているんだという意識を持ち続けたいと思います。


質問コーナーを持たなければいけませんね。
では、残り5分ぐらいで、だれか質問があれば、2人でお答えできることはお答えしたいと思います。何かありますでしょうか?


私が聞いていいですか?

いいですよ。

ライティングデザイナーとか照明デザイナーというのは聞きますが、照明家はどういうふうに違うと思っていますか?

なかなか鋭いところをついてますね(笑)
単純に言ったら、やはり照明デザイナーという言い方に対する一線引きをしたいというところです。
僕は、今言ったようなまちづくりみたいなのをやったりしていますが、今までの照明デザイナーと、やっている振る舞い方が全く違う。
わかりやすいことを言うと、川越の一番街通りの商店街は、実は日本的に有名な商店街で、年間1000人ぐらいの見学者が来るらしい。
そして、日本中のいろいろな商店街だとか、役所の人が見学に来るそうです。
そうすると、川越の一番街通りの会長をやってしまうと、2日に1回ぐらいそういう人たちを案内しないといけないから、もう1年じゅう仕事ができなくなるらしい。
彼らの事務所へ行くと、いろいろなコンサルタントから出てくるA3サイズの提案がもう山積みになっています。
しかし、その地元の人たちが、もう都市計画とかはどうでもいいと、それよりも音だとか光だとか空気だとかいうものから、まちづくりをちゃんとどうやってやったらいいのかを真剣に言い出しています。


なるほど。それはかなり切実なことですよね。

あそこはやはり古い建物なので、前をバスが通ると、振動で建物がどうなってしまうんだとかいうほうが、実はリアリティーがあって、ファニチャーがどうなるなんて全く関係ないわけです。
やはり、彼らは日本中の街路を見て研究して勉強した結果、そこに行き着いている。僕が今知っている中で、川越の人たちは、町並みの話だとか文化をどうするんだとかをすごく勉強しています。
実は、川越の役場には、先輩の荒巻さんという人がいて、その人は日本建築のオタクです。
川越市に建っている全ての建物を、これは何年に建って何年に1回壊して、その後、基礎をどうにかしてと、全部言えてしまうような人が1人います。
そういう人も含めて、やはり川越にある蔵づくりのスタイルを、ちゃんと守って引っ張っているという環境があって、みんなすごく勉強している。


角舘さんが、照明デザイナーじゃなくて照明家とおっしゃるのは、私なりにはこういうことなのかと思ったんだけれども、デザインよりも、計画・プランニングのことを随分重視されていると思います。
私自身もそうですが、デザインの手前の部分をいかにきちっとお話をつくれるか、もしくは目的とか方向性を築いていけるかだと考えています。
そのためには、実験を結構やられていますね。
実験とか、論文とか、足元を相当固めないと計画はできない。
計画がないとデザインもできないということのあらわれを、照明家とおっしゃっているんじゃないかと思いました。


それもあります。
僕自身ライティングデザイナーと言われているような職能は、きっとこのままいくとなくなってしまう可能性があるんじゃないかと思っています。
極端なことを言ったら、グラフィックデザイナーのほうがうまかったりする場合もあると思います。
つまり、デザインも大事なんだけれども、いかに計画していくかの方が重要だとお思います。
そこに人がいて、住宅でもそうなんだけれども、そういう計画論の中から光は何なのかをちゃんと導き出せることが重要だと思っていて、それが病院だとかいろいろな計画に、僕自身の中では全部連結しています。


今日、来られている方にはインテリアの方も多いと伺っていますが、建築・土木・インテリア・プロダクト・アーバンデザイン・アーバンプランニングとか、私たちの領域でもいろいろな縦割りがあります。
しかし、インテリアのライティングとか、インテリアの空間そのものも、その空間の中だけで完結しているというよりは、さっきの大阪の照明のように、周りの環境に対してものすごく力を持っている時代になっていると思います。
そうすると、なおのこと一人一人のデザイナーが横断的な視野とか、その計画の重要性といったことを、もっと私たちがいろいろ議論をしたり、目的を共有していくような仕事の仕方ができればいいなと、よく思います。


僕もよく人に「都市計画もやってるし、まちづくりもやってるし、商業施設もやっているし、住宅もやっているし、病院もやっているし、何でそうやってできるの」と言われる場合があります。
それは、建築家から言われるんですが、僕からしたら、病院の廊下は、例えば老人医療施設だったらそういうふうな障害を持った老人が歩くんだよ、住宅の廊下もある人が歩くんだよ、街路も人が歩くんだよと思います。
今言った、歩くということだけをテーマに考えていくと、同じ土俵で思考できます。
ただ、最終的には、その光の手法という意味ではいろいろあって、その中で何を選択するかは当然出てくるんだけれども、その前段階では、僕自身は全部同じ土俵の上で思考できているので、そんなに違和感なく、いろいろなところを計画できるんじゃないかと思います。


それは非常に共感というか、理解できます。
私も家具をやったり建築をやったり、昔、海外にいたときはインテリアも結構やっていました。
今は土木もやっていて、何か1対1のスケールから1対2000とか、1万とかというようなスケールを横断しながら仕事をする。
でも、こういう視野とこういう視野を同時に持ちながら、ネコの目みたいに、何か瞳孔がいろいろな大きさでもって思考ができる。しかし根底に流れているものは、非常に同じである。


それってなんだろう。

それは、デザインじゃないからだと思いますと思います。
やはり、これは計画とか、本当に根元の部分に立ち戻ることだからなんじゃないか。デザインといったら、もう山のように手法はあるし、答えなんてもちろんないし、目的さえ往々にして見失うところがあるでしょう。


そうですね。
まだまだ話は続きそうですが、時間も回ったところですので、これで終わりにしたいと思います。 




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