HOMEトークセッション>MARIOT EVENT vol.20 FUKUOKA P.1/2/3/4/5
Mariotトークセッション


角舘:こんばんは。最初簡単に自己紹介をしましょう。
私は角舘といいます。照明をメインで計画をしています。


松岡:建築家の松岡恭子です、こんばんは。私は地元ですので、今日は、この中にお知り合いの方もたくさんおられるような気がします。
私は建築を中心に活動していますが、土木の仕事もさせていただいているし、一方で家具も手がけていますので、ある程度いろいろなスケールの仕事をしている建築家として自負しています。


僕と松岡さんとは、松岡さんの研究室に僕の知人がいて15年程前からいろいろな話をしたり、福岡で一棟ビルを一緒に設計したりということで、今回こういう形で一緒に講演会をやらせていただくことになりました。

今日何を話そうかと、昨日、2人で簡単に話しましたが、基本的には自分たちの年代の考え方みたいなもので、どういうスタンスでどういうことをやっているのかというところが伝わったらいいかと思います。

それでは、松岡さんのほうからプロジェクトの紹介等をしてもらいたいと思います。




30分ぐらいをめどに、私がお話しさせていただこうと思います。
こういう資料をつくっていると、だんだん欲張っていつもいろいろ持ってきてしまうのですが、冒頭お話ししたように、私は土木の仕事もしているので、皆さんに社会資産というものについてお考えいただけたらと思って、何枚か写真を持ってきています。

これは東京の聖橋です。
明治時代の橋梁の秀作の一つ。聖橋という名前は、ニコライ聖堂と湯島聖堂を結んでいるから聖橋と言われています。

これは大分の白水ダム。
水が動くレースのように非常に細やかなひだをつくっていくダムです。次は長野県の砂防です。コンクリートでがちがちに固めるのではなくて、自然と一体化したような砂防をつくっています。

次は、ご存じの方も多いと思いますが、南禅寺のびわ湖疎水。

今お見せしたのは、戦前の土木の仕事のほんの一部です。
戦前の土木、いわゆる明治から大正、昭和のはじめにかけてつくられている土木の構造物の中には、ものすごいエネルギーを投じて、1人もしくは2人のエンジニアの、実際にこれを担当した方の名前や、何に格闘したかとかというエピソードがふんだんに残っている。
まさに血と汗の結晶で、社会の資産もしくはインフラを整備してきたわけです。

ところが、戦後の日本はひどいことになっていきました。その典型的なものと言ってもいいと思いますが、例えば過疎化しているのでみんな帰ってこいと意味を込めて「かえるの橋」とか、はっきり言って意味のない、子供っぽい短絡的で表面的なデザインに社会が動いていったのは非常に残念なことでした。

今日ここにお持ちしているプロジェクトの一番大きいものと言ってもいいと思いますが、今年の3月に開港した新北九州空港の連絡橋、空港島に行く海上の橋です。
私はこれを93年からやっていたので、13年間ぐらい携わって今年やっと完成しました。
93年からやっていると、干支を一回りして20代から40代になってしまいまして、本当に長い期間この仕事にかかわってきた感があります。
地図でいう赤いところが橋梁です。

空港島に突っ込んでいくところだけはカーブになっていますが、高速からとにかく延々と10km近く真っすぐ進む直線上にあります。
この緑のところが橋ですが、中央部の主橋と呼んでいるところは船が通りますからスパンを飛ばしています。
横に空港があるので空域制限が厳しい、船は通る、だから下のクリアランスも確保しなければいけないと、非常にコンディションの厳しい仕事でした。

そういう中で何をテーマにしていくか。橋に真っすぐ突っ込んでいきますから、例えば陸地と海と島と、そして空に飛び立つという高揚感をあらわすような何かが必要なんじゃないか。もしくは橋を横から見たときに、周りの大景観と調和することも必要だ。
それから橋は構造体、照明、高欄、いろいろなものがありますが、そういったものが連続的に一体的になっているようなものにしようとテーマをつくっていったわけです。

実は、アーチの部分のデザインだけでも非常にたくさんの案を出しましたが、最終的には1本のアーチをいかに多様に見せるかという勝負になりました。
この前には2本のアーチを立体的に組み合わせてアクロバティックな構造もいろいろ考えましたが、1本でやることになりまして、では一体何ができるかと考えたときに、断面変型しているアーチを提案して、これが実現しました。

例えばここで切ったとすると、長方形がだんだん頂部に行くに従って六角形に変型していきます。
ものすごく厚い40ミリぐらいの鉄板を使っています。
つまり、カバーではなく構造体そのものです。
要は、これを3次元的にねじってつくることになるわけです。
この効果は何かといいますと、アーチに非常に細やかな陰影ができる。
それから橋の上から見たときに、アーチが上に向かって細くなっていくように見える効果があります。つまりだんだん倒れて幅が狭くなっていくわけですから、実際に船からも含めて、いろいろな角度から見ると、暗いところ、明るいところが微妙に変わっていくのが体感できます。

土木の技術はすごいと思いましたのは、実は、これは三つの橋梁メーカーがつくっています。
予算の関係で1社に発注できなかったので、3つの会社が各々大阪、千葉、広島でつくっています。この鉄板を3次元的に曲げて、溶接するのも大変なのに、それを3社がばらばらにつくって合体させることがいかに大変なことか。
しかし、こういう難題を解こうとする、その意欲がエンジニアにも生まれたおかげで完成しています。

この橋のプロジェクトではいろいろなチャレンジをしましたが、一部をご紹介したいと思います。

土木の中では、「橋脚」と呼ばれる柱とか「桁」の部分が構造の一番重要なところですから、ここには心血を注がれやすいのですが、その上に載っかる添加物と呼ばれてしまう照明や手すり・道路標識は、かなり軽んじられています。
しかしながら、建築をやる人間としては、小さかろうと大きかろうと大事なものは大事だ。
一体的にデザインするのが本来のあり方であろうと説得して、土木の方を説得しながら、私はこういう方向をやりました。
つまり、すべてのものがある基本的な単位に基づいて配置されている。
例えば、橋脚の上には必ず照明が立ちます。
長さが飛び過ぎているので真ん中に1本立てます。
それから照明が、単に突っ立ってるのではなくて、構造物である桁の部分と一体になって取りつけられています。
こういったことを実施して、橋の全体のバランスとかピッチ、バランス感覚もしくは連続性といったものが形成されると考えているわけです。
手すりも全部デザインさせていただきました。

それから、この橋には歩道がついていまして、2kmの歩道がどなたにも歩いてもらえるように公開されています。
この歩道を歩くに当たって、やはりちょっとした休憩施設が要るじゃないかと、藤江和子さんというデザイナーにこういう案を出していただきました。
最終的にはかなりシンプルなものになりましたが、全方向的に座れるベンチです。
いわゆる背もたれがありませんから、どうにでも座れる。
それから、このメッシュがかかっていない波形のところには、例えば車いすの人が同じ目線で座れるファニチャーになっています。

導入部、橋の一番の玄関口になるところの話をいたします。
遠い、遠い何十年後かわからない将来、この橋と10km先にある九州自動車道を高架橋で結ぶという計画があるので、オンオフランプの間は何も作らない方針でした。

先ほどからお話ししています歩道はどういうふうに連結されるかというと、当初はこの赤い線のようにだらだらだらだらオンランプと一緒に上っていくという計画でしたが、しかしながら、一体それはだれが上るんだ、と疑問に思ったわけです。
これを上るだけで300mぐらい歩かなくてはいけません。
ここからまた2.1km歩く、何が楽しいんだ。しかも行政の方々は「2本のランプの間の空間は砂利敷きです」と言うんです。

そういうことよりも、やはりもっと人が来たくなる、もしくは歩きたくなるような場をつくるのが歩道をつくる目的じゃないか。
例えばこれはニューヨークのブルックリン橋ですが、長さはちょうど同じぐらいですが、いつもひっきりなしに人が歩いていますし、自転車の往来もとても激しいところです。
実際、歩いていたら向こうに高層群が見えたりして、視界にとても変化があります。
ただ、真っすぐだらだら上っていくのではなくて、もっとこの場所を公園のようにして、渡ることが目的だけではなくて、ここにやってくることだけで何か楽しいとか、ガールフレンドを連れてきたいとか、もしくはお父さんが週末の夕方、子供と散歩したいとか、そう思ってもらえるような場所にしようといろいろな提案をして、最終的な形になりました。

向こうが空港島のほうですが、本来オンランプがあって、歩道が横に真っすぐ通っていましたが、回遊性を持たせるようにぐるぐると曲げました。
しかもここは土を盛って緑化しています。
将来2期線が通ることになったときは、土をどけてまたルートを変えればいいじゃないか。
しかしそれは遠い、遠い将来のことなんだから、そのことを今そんなに頭でっかちに考えるよりは、当面ここが気持ちのいい場所になったほうがいいじゃないかと考えたわけです。

しかしながら、真っすぐではなくてぐるぐる回るというか折り返すのは危険なんじゃないかとか、自転車はぶつかるんじゃないかとか、スピードを出し過ぎるんじゃないかとかという懸念がいろいろあったわけです。

では実験しましょうと、行政の人たちとみんなで似たような坂道で実験をしました。

少し逆勾配をつけてスピードダウンしてもらうところを設けるかどうか、目の前に来たら不安ではないかどうかをみんなで実験をしています。
私自身は割と実験が好きで、すぐにおじさんたちを駆り出して実験してしまうんですけれども、実験すると、みんな体験できて割と納得しやすいのです。

もう一つ私が提案したのは、ぐるぐる回って、視界の変化はなかなか楽しめるが、それでも300メーターも歩かなければいけない。
では、それとプラスして、駆け上がったらすぐ橋の上にまで上れるようなショートカット階段をつくりましょうと提案しました。
これも何とか行政を説得することに成功して、完成しました。

例えばお父さんがランプをのんびり歩いて、子供はショートカット階段を駆け上がって、この部分で向かい合い「おーい」と手を振ることができるような場所も持っております。

しかし、こういう場所をつくるだけではなく、どんなふうに使ってもらえるのかとか、周辺にどんな施設があるからここはこういうふうに使ってもらえるのではないかとかいう調査は大事にしたいと、いつも思っています。
周辺の公園のあり方とか、周辺で起こる1年間のいろいろなイベント、お祭り系とかも調査しました。
ある程度、こんなことが起こり得るんじゃないかというシミュレーションもしました。
例えば釣りとかサイクリングとか、もしくはステージみたいなものをつくっているのでコンサートなども開催できるんじゃないかとかいうことを提案しています。

いつ照明の話になるんだろうかとお思いでしょうが、ここからがやっと照明の話です。

照明を考えるに当たって、このプロジェクトの場合はどうしたかというと、かなり先にある10号線という大きな国道からみんな延々と真っすぐに来るわけですが、この間はほとんど照明がありません。
ですので、空港島に向かうこの道が、本当にここを通っていたら空港に到着するんだろうか、空港島に行き着くんだろうかと不安に思われないように、お話ししたこの公園の部分の照明をどうするかということに、非常にこだわりました。

このときの案は、両側のオンランプ・オフランプをお互いに照らし合って、国道のほうから来たときに遠くにゲートのようなものが見えてはどうか、またこのショートカット階段がふわっと明るく照らされてはどうかと考えました。
周りはもう海ですから、全く何の照明もない状態です。

これは、開通前にだれでもみんな歩けるというウォークラリーのイベントをしたときの写真です。
ものすごく寒い日でしたが、4000〜5000人集まって大変な盛況でした。
いくら私が公園化しようと言っても、行政側は、ここの場所は定義としてはあくまで道路だと主張しました。
公園化は賛成するけれども、行政の定義としては道路です。ですが、こういう場所をつくったおかげで、イベントもできて実際にいま現地に出向いても、いつも釣りの人がいたりブラブラしている人がいたりします。
また、実際にカップルがお散歩したりしていました。

こういう場所をつくるとき、さっきお話ししたように、いろいろな想定をします。
どんなふうに使われるのか、どんな人が来るのか。
それはいいことばかりではありません。
例えば暴走族が来るのではないか、何か破壊的な行為が起こるのではないか、いろいろなことを考えてある程度の手は打ちます。

一方で、私は、こういうだれでも24時間来られる場所に対しての自分のイメージがありまして、やはり、デートの場所になったほうがいい。
男の子が好きな女の子を連れてきてプロポーズしたくなるような、日常の空間とは少し違う、何か心がまた違う次元のところに行けるような場所でありたいなあと思って、照明だけではなく、公共空間のあり方をそういうふうにとらえています。

今回の橋は、「100年間利用できる橋」という大きな目的がありました。
そのためにはいろいろな技術的検討をして、これは基本的に車道中心の橋とも言えますので、車利用者のために設計しました。
設計する人は行政とエンジニア。
これがいわゆる土木のやり方です。
しかも、土木の仕事は匿名です。
戦後は、だれがやったかを明らかにしないようになってしまいましたので、この部分はよくわからない、実際にがんばった人の名前ではなく、何とか株式会社ということしかあがってこない。
しかしそれでプライドを持てるのか。
100年後、こんなものをこんなふうに愛されて、100年後の日本の社会をこんなふうに支えてほしいと思うような土木構造物が、それでできるのか疑問です。

今回のやり方としては、技術的検討だけではなくて景観的な検討をし、利用者を自転車利用者や歩行者に広げて、渡るだけではなく、ぶらっと行ってみたくなるような橋を行政・エンジニア・研究者・デザイナーでつくっていったような背景です。
ここに至るまでの13年間は非常に長く、私は建築ですから土木の方々と言葉が違うし、専門も違うし、非常に深い溝がありました。
しかしながら、デザインがいいとか格好いいとか単にいいものを残そうではなくて、100年後の社会に、ここの近隣住民のために何ができるのかを一緒に議論していくこと。それが大事だと思います。

もう一つの土木の仕事をお話します。

福岡市の西側の前原市に、JRの筑前前原の駅があって、駅前の道を200メーターぐらい行った先の部分です。
これが非常に狭くていつも渋滞していて、歩道もないような道路だったので、福岡県が拡幅することになりました。
拡幅するに当たって、なかなかさばけたお役人で、前原土木にいた行政の方が、「これからの道は行政だけがつくって市民に使えというのではない。市民の声もきちっと聞こう」と、沿線住民の方をいろいろ呼んで懇談会をつくりました。

行政・コンサルタント、そして九州大学の樋口先生と私がアドバイザーでついて、住民が話し合う、議論する、自分たちの町並みを、どうしたいかを考えるバックアップをしましょうということになりました。

後に、実際に詳細なデザインを担当することになるのが、西日本技術開発株式会社と私になっていきました。
懇談会の始まりはレクチャー方式でしたが、模型を西日本技術開発株式会社につくっていただきました。
この模型がだんだん大きくなって7メーターぐらいあったと思います。

1年半ぐらい、月1回のペースでこの懇談会が開催されました。
しかし、この懇談会が決してスムーズに行ったわけではなくて、合意形成が楽に行ったわけでもありません。
木を植えるか植えないかだけでも大変な議論が巻き起こりまして、植えたいという人と、葉が散るから嫌だ、もうそんな掃除は一切したくないという人といました。
よく私は、これを例えて日本昔話のいいじいさんと悪いじいさんと言うんですけれども、いいじいさんと悪いじいさんの対決みたいになりました。
往々にして悪いじいさんは声がでかくて、あわや植えないことになりそうでした。

アドバイザーである私としては植えても植えなくても、どうでもいいと申し上げました。
別に私はここの市民じゃないし、沿線住民でもないし、みんなが決めればいいです。
しかしながら、いま植えると決めたなら県がお金を出してくれます。
いま植えなかったら未来永劫、県はお金を出さないでしょう。自分で植えてください。
ただし、こういう4メーターもある立派な歩道の道ができたのに、子供や孫に皆さんが社会資産として残す道に、木一本植えなかったというその決断は後々語り継がれるでしょう。
そう冷たく突っぱねてしまうと、「やはり植えるか」みたいになってきて、結局、植えることになりました。

そうこうしている間に、いろいろなことを住民同士が議論するようになってきました。

例えば地上機器と書いていますが、これは電柱を埋設したので電力とか通信会社のボックスが歩道にあります。
その場所だとか車の乗り入れ口といったものは必ず設置することになるので、住民でいろいろ議論してください、例えば照明とか横断防止策とか木というのは設置するかどうか、みんな自分で決めてくださいとお話しました。
結果的に、照明はフットライトを採用することになりましたが、そのいきさつはまた後ほどお話しします。

そういう中、地上機器がこの約300メーターの道の中に31基もありました。
そうすると、地上機器だらけになってしまい、「そもそも何でこんなにたくさんあるんだ」という声が住民から巻き起こったわけです。
「私たちがやるのではなくて皆さんが決めるんですから、自分たちで九州電力株式会社を呼びなさい」と言いました。

その後、九州電力株式会社とNTTが来てくださって、住民がいろいろ質問をしたり、いろいろな要望を出したわけです。
そうすると、方式が変わることによって9個まで激減しました。
これでなかなか味をしめた住民は、「ここは街道が交差しているからここに信号を増設してほしい」と要望を出してきたので、「それも自分でやりなさい」と言うと、自分たちで署名を集めて県警に申し入れて、信号がつきました。

歩車道分離のところも、こういう一般の分離ブロックをつけるのではなくて、フラットにしましょうとか、歩道の視覚障害者用の誘導ブロック位置、例えばこの幅員の中でどの場所につけるのかについても議論がありました。
真ん中につければ、ここは一番人が歩くところですから干渉してしまいますねと、では、もう少し民地寄りにつけると住み分けができるじゃないですか。しかし、ここに心ない人が自転車を置いたり看板を置いたりすると、ここで視覚障害者の人は歩けない事態が発生します。
では、そういうことはやめましょう、きちっとモラルを守りましょうということになっていきました。

こういうふうに、いいじいさんと悪いじいさんの格闘の中で、だんだん議論は前向きになっていきました。
緑はこういうふうに植えて、ここに広場があるので、ここにアイストップとなるような緑をつくろう。
その場合、ここは少し明るくして、あとは足元だけを明るくするような照明にしようとかいうふうになっていきました。樹木もいろいろみんなで議論しました。

ここは、やはり暗いんじゃないかとか、もしくは明る過ぎるんじゃないかと、照明実験も実施しました。
実際フットライトになったいきさつは、一番簡単なのはポール照明を立てる事ですが、皆さんは沿線の横に住んでおられるので、2階の部屋に光が入ってくるとまずいんじゃないかという話もあって、歩道の照明としては珍しいフットライトを採用することになったわけです。何の実験をしたかというと、みんな子供の手を引いてわさわさと出てきて、いろいろな灯具を置いてみたり、ピッチを変えてみたりして、納得を皆さんでしていただきました。
このようにデザインコンセプトも含めて住民で決めてもらったわけです。

そしてここから先、デザイン化しなければいけないところから私がさせていただきました。
実際に道路のエレメントをなるべく絞り込んで、数を少なくしてすっきりとしたものにしていこうとか、信号柱もデザインさせていただいたのですが、表ばかりじゃなくて裏もきれいなすっきりしたものにしようとか考えてデザインしました。

この信号柱も一般鋼管を使ったので、既製品じゃないものとしてはかなり安くできています。
また、せっかく住民が道に木を植えることにしたものですから、なるべく木が健康に早く育っていけるようなケアをデザイン的にしておくべきだと判断して、この誘導ブロックも全部透水性のものを開発してもらったりしました。
石のペイブの部分も、下にコンクリートを打たずに水が透水していくようなシステムです。
フットライトも1人2役も3役もしてもらおうとデザインしました。
単なるフットライトとしてだけではなくて、催し物をするときに電源が欲しいという住民の声があったので、カパッと開ければこういうのが出てきたり、旗を立てたいという声もあったので、カパッと開ければ旗を立てられたりします。
もちろんスツールにもなる。
それから板をかければベンチにもなりますというような照明です。

1年前の写真と今年の写真ですが、緑が結構よく育っているのは日当たりもいいし、多分、水がうまいこと根元にいってるのかと思ったりしています。


たくさん花が飾ってあるのにお気づきの方がおられるでしょうか。
去年はなかったのですが、ちょっとした広場のところもたくさん花が飾ってあります。夕暮れにはフットライトがつき始めます。

いわゆるこういう懇談会系のものは住民対行政になりがちですが、今回の場合は、文句を住民がばんばん言って行政が聞くという方式ではなくて、対話型のやり方をしましょうと進めました。
住民がやるべきことはきちっとメニューを決めて、そこから先はプロがそれを受けとめて形にします。
その3者が共同してやりましょうという構図でこの仕事は進みました。

その後、一部の住民の方が、せっかくこんな道ができたんだから花を飾ろうといって飾り始めました。
ただ、必ずしも全員には強要しません。
ところが、リーダーシップのある方がなかなか聡明で、近くに糸島農業高校がありますけれども、そこに直談判に行かれて、若い人たちに、学校の中だけで花を育てるのではなくて道で育てなさいよ、水やりとか管理は私たちがやるから道に持ってきてちょうだいと話され、花が飾られるようになりました。
しかも彼らはもっとしたたかで、そのうち小学生も巻き込むつもりで、引っ張ってきて手伝いをさせるというプランもあります。

こういった仕事を通して、パブリックのスペースというのは一体何なんだろうと考えるようになりました。
つまり官と民、もしくはどこからどこが道で、どこからどこがあなたの家みたいな境界を引いて認識することよりは、その境界をもう少しぼやかしていかないとパブリックな空間のあり方へ目が向かないだろうと考えるようになりました。

これは博多リバレインの前の写真ですが、ああいうパブリックなところでさえ、たくさんの種類のペーブメントが引かれています。
大名の一風景ですが、この官民境界のところにすべて看板とか電柱とかいろいろな代物が吐き出されています。
これはある本から拝借していますが、たかだか120年前のニューヨークはこうだったんだ。日本だってできないことはない。
しかし全部が全部地中埋設するのも大変だから、もっと地域、地域に合ったやり方ができるんじゃないか。

つまり、こういうやり方からもう少しハーフグレーなハーフパブリック空間みたいなもののつくり方を私自身は考えていきたいと思ってます。
そういったことを考えながら、建築をつくっていることをご紹介したいと思います。

江戸時代の地図を見ると、ご存じのとおり大名は、あみだくじ状態の道で成り立っていまして、地震でかなりやられましたが、古い建物も残っている地区です。ご存じのように非常に人気のショッピングゾーンでもございます。

この大名で私が与えられたのはこういう敷地で、とてもウナギの寝床的な敷地でした。
しかしながらこの大名のよさはかなりヒューマンスケールで、いろいろなお店があるにもかかわらず歩いて楽しいというところ。
路地があって、そこを奥に入っていくと、またお店があったりというのが楽しめる。散策スペースがたくさんある。
そのことを建築も生かしていかなければいけないと思っていました。

一方で敷地の特性としては、顔を持てる幅が非常に狭い。
三方が立て込んでいるので、奥のほうのスペースは真っ暗になってしまう。
ところが、考えてみれば町屋の町並みというのもウナギの寝床だったわけで、坪庭やら奥庭やらを使って光や換気をしていたわけです。

また、よしずを上手に使ってお隣や向かいとの緩やかな関係をつくっていました。
大名のおもしろいその散策の路地をこの建物の中に引き込んでやろうと、それから中央部分にオープンスペース(ボイド)を設けることで、奧のスペースにも光や換気ができるようにしてやろうと考えました。

また、隣近所をシャットアウトするのではなく、やわらかい現代的よしずのような関係性があり得ないかと考え、できたのがこういうダイアグラムです。
だれでも中を歩いて回れるとか、光がこのオープンスペースに入ってくるという仕組みにしていったわけです。

実は、この建物の共有部分はほとんど屋外です。
立体的なボイドとパブリック空間の関係にし、隣のビルをシャットアウトせずに、何となく緩やかな関係を築こうとしました。
風も通り抜けるフィルター。
照明も路地のような雰囲気を残したい、路地とか何か非常にヒューマンスケールな歩く場所を演出したいと思って、明々としているのではなくて非常に暗くしました。
それよりも店舗が目立っていくほうが正解なんじゃないかと。整理しますと、地域の特性がありまして、細いとか三方囲われているという敷地の特徴がある。
そこに周辺との関係性をつくりながら建物をつくっていきたい、もしくは照明計画をしたいと考えたわけです。