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Mariotトークセッション

森脇:これはテーブルを作りました。
先程の「レイヨ=グラフィー」という影が映って光るパネルを単純にテーブル面にしてみたのです。そうするとすごく面白いんですね。
丸テーブルなのですが、ちょうどこんな感じで、上からライトが当たっていて影が映ります。ティーカップなんか置くと、その影の部分が光る。

遠藤:これは手を動かすと、そのままの動きで光っていくということですか?

森脇:そうです、そうです。
ですので、通り過ぎる人は、これはただのテーブルだと思うのですが、ちょっとやってみると「おっ、なんだ、これは」みたいな感じで、これをネタに会話が弾むと。
いわば一種のコミュニケーション・テーブルみたいな感じで非常に楽しんで貰っています。

遠藤:何かゲームっぽい感じもありますよね。

森脇:そうですね。ただ、コンピュータ・ゲームというのは、いろいろとマニュアルがあって操作方法があるじゃないですか。

遠藤:決まっている部分があるということですね。

森脇:コンピュータ・ゲームももちろんインタラクティブなのですけれども、僕の考えるインタラクティブというのは、まず操作方法というのは学ばなくていい。もう即座に分かってしまう。
でも、それによっていろいろと遊べる。
自分の工夫しだいで、どんどん遊んでいけるような内容を持ったものですね、そういったものがいいんじゃないのかなと思ってやっています。

遠藤:ゲームって非常に面白いですけど、そのルールに則らないと全然できない。まさに今の社会システムというのですかねえ。
それはそれで便利ですけど、それ以外にははみ出せない。そういうところがありますよね。


森脇:最初に目標というのが設定されて、その道しか無くなる訳ですよ。本当はいろいろな可能性があるのに目標を設定した途端に、そこの道しか行けなくなってしまう。そうじゃなくて、もっとフレキシブルな考え方があっていいんじゃないかと。

遠藤:そうですね。何かを楽しむ時にそのラインしかないというのは、ある意味、不自由ですよね。本当は楽しくないんじゃないかと思いますね。

森脇:ですからちょっと抽象的な話で、これは美術作品といいますけれども装置なのですよね。
装置ですけれども、僕としてはもっと道具に近いほうがいいかなと。単純な道具ほどいろいろ応用ができる。
彫刻刀を持って、いろいろ使ってみると...はさみなんて非常に優れた道具だと思いますよ。紙を切るだけじゃなくて、いろいろな使い方ができる。
シンプルであればある程。だから複雑な装置になってくれば、やはり目的が限定されてきますよね。


遠藤:そうですね。そういう意味では、さっきお見せしたコルゲートシートという材料もボルトを締めるだけなので、誰でも使えますね。
いわゆる職人技や熟練工でなくて、誰でもできる、みんな参加ができるというところが同じですね。


森脇:はい。

遠藤:技術というのが非常に高度なものになってしまって、あんまり、みんなが参加できない。そういう意味ではLEDを使われるというのも、一つの粒で光るという、何か非常にシンプルなものを感じますよね。

森脇:そうです、そうです。粒々が好きなのですよ(笑)
「ぱかっ」と光るのではなくて「粒々、たくさん」というのが基本でして...これが1400個ぐらい使っているんです。


遠藤:あ、そんなにたくさんあるのですか。

森脇:年間LED消費量、かなり使っていますよ。
日亜化学さんに表彰してもらいたいぐらい
(笑)...
やはりLEDを使い始めたというのは、ちょっと時代かなと思っています。
実はライト・アートというのは、光の芸術を革新的なものとして使おうという 運動がありまして、戦前からありますね。

遠藤:光のペンを持ってやっているのは、誰でしたっけ? ピカソかなんかもやっていましたよね。

森脇:ああ、そうですね。
それから光は空間を作れるということも、前衛的な芸術家が何人も取り組んでいるのです。
技術的に見ると、大きな照明ライトを使って空間づくりをする。
しかし80年代に入ってきますと、情報の時代ですよね。

遠藤:ITになりますよね。

森脇:大電力で大きなものをやるというのではなくて、それはちょっと時代遅れな考え方で、もっときめ細やかで、移り変わりが激しくて、解像度が高いというか、それが新しい情報の時代にマッチした表現じゃないのかなと思って、それを表現するのにLEDがぴったりだなぁと思ったのですね。

遠藤:建築の考え方でも、ちょうどその頃からプログラム論あるいはプログラム建築というようなものがあって、比較的小さく分割しながら、可変性というのですが、対応できるようなものを考えていこうと、そういう大きな流れはありますね。

森脇:昨今LEDはずいぶん普及してきまして、私も空間づくりやクリスマスのイルミネーションに使っています。
クリスマス・イルミネーションって、ちょっと面白いと思うのですよ。...と言いますのは、アートというのは、どうしても美術館ですとか限られた特殊な...


遠藤:非日常的なものになっていった。

森脇:そうですね、
非日常的なところからなかなか出ることができないです。
けれどもクリスマス・イルミネーションというのは、皆が見に行くのですね。
一般誌に載るといいますか、非常に普遍性があるわけですよ。
そういう空間の中で、いかにアートが成り立つのか。これは我々にとって大きなテーマだと思います。
クリスマスという中で、何ができるだろう。
新宿のパークタワー等いくつかのクリスマス・イルミネーションを受けまして、アートの提案だということで、いろいろやってはいます。
ただ非常に難しくて、やはり大きな壁があるのです。
クリスマスのイメージというのがありまして、モミの木が立っているとかね。
この奥に立っているでしょう。これは私、やってないのですよ。


遠藤:ああ、そうですか。

森脇:やっぱりモミの木がいいなぁというので入ってしまった。全然違うものを提案していたのですけどもね。

遠藤:外側だけを、これはやられた?

森脇:はい、そうです。難しいですよね、一気にいかないです。
やはりそういう伝統的なものは当然あります。そういう中で、我々のアートの香りを如何に入れていくか。ここをやはりクリアしていかないと、日常生活の中でのアートというのは成り立たないなと思いました。


遠藤:今あるものを否定するのではなくて、別の場面で新しいものを見せていくということだと思いますね。
今の話を聞いていて思ったのは、さっき見てもらった大阪城の公衆トイレですが、トイレって、わざわざ面白いから見に行こうとか、そんなことは全然思わないわけですよね。
もうひたすら用を足しに行くというのがトイレで、我々が一生懸命そのトイレをデザインしても、本来の目的とは直接的には結び付かない。
良いデザインのトイレだから行きたいとか、そういう風には思わない訳ですよね。
しかし、用を足したいから行きたい時に、その目的とは違う、あるメッセージが用意されている訳です。
それをどういう風に受け取ってくれるのかというのが、小さいプロジェクトなのですけど面白いなと思っています。

森脇:そうですね。そういう無くてはならないものの中にアートが出てくる。
日常の生活の活性化ということの鍵をアートが握っていると思っています。
それがいかに実現できるかということですよね。

遠藤:そうですね。まさにこのイルミネーションも、大勢の人はたぶんこの中にあるモミの木をイメージしながら行った時に、そうではないものがある。
そこに何か出会いというか、ぱっと刺激するものがあると思うのですね。