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| かつて人々の暮らしは、太陽とともに過ごすのが一般的であり、日の出とともに起き、日の入りとともに仕事をやめて夕食をとり、眠るという繰り返しであったと言われています。そして住まいは、自然から身を守るためのものとして、自然条件と手に入りやすい素材から発展したものであるそうです。 日本の住まいは「木」と「草」と「紙」で出来ています。 木材に恵まれている条件と、木材が日本の気候である湿気を調節してくれることより、木造建築が発展したと聞いています。 そして雨や暑さから身を守るために、太陽の高度を考えて軒を長くし、戸を半開きにする事で風や光を調整。やがて現在の障子である「明障子(あかりしょうじ)」を発明。 和紙等を貼る事で、戸を半開きにするのではなく閉めた状態で、寒さを防ぎつつ光を透過させる事が可能になったようです。行燈やロウソクの光しかなかった時代に、閉めても室内が明るい建具(=障子)は、画期的であったようです。 ![]() こう書いてしまうと、「な〜んだ!」という感もありますが、自然から身を守る事を考え、生活レベルが向上するにつれ、ワビ・サビといった情緒へと発展していったのは当然の流れかと思われます。 そして現在...純日本建築に住んだ事がない私たちにも、太古より培われた「なつかしい」という記憶が、心地良さを生み出しているのは間違いないと思います。 今回の京都旅行で、その「和の光」を改めて感じたのは、雪舟寺という場所です。 |
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| 雨・風や夏の暑さに対する配慮からではありますが、何重にも光を調節できる装置になっています。 軒に遮断され、枯山水の白砂にバウンスされ、障子によって調節された光は、部屋の奥へ奥へと伸びていました。 |
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「諸君はまたそう云う大きな建物の、奥の奥の部屋へ行くと、もう全く外の光りが届かなくなった暗がりの中にある金襖や金屏風が、幾間を隔てた遠い遠い庭の明りの穂先を捉えて、ぽうっと夢のように照り返しているのを見たことはないか。その照り返しは、夕暮れの地平線のように、あたりの闇へ実に弱々しい金色の光を投げているのであるが、私は黄金というものがあれほど沈痛な美しさを見せる時はないと思う。そして、その前を通り過ぎながら幾度も振り返って見直すことがあるが、正面から側面の方へ歩を移すに随って、金地の紙の表面がゆっくりと大きく底光りする。決してちらちらと忙しい瞬きをせず、巨人が顔色を変えるように、きらりと、長い間を置いて光る。時とすると、たった今まで眠ったような鈍い反射をしていた梨地の金が、側面へ廻ると、燃え上がるように耀いているのを発見して、こんなに暗い所でこれだけの光線を集めることが出来たのかと、不思議に思う」 谷崎潤一郎「陰翳礼讃」より |
| 正直、私はこの時代の良さを体感した事はありません。この時代の方々が良しとされた光を語ることもできません。 しかし、雨・風をしのぐために軒を長くした室内の中で、ロウソクのほのかな光の中で、文化や美術品や食文化が発達した歴史的背景は間違いなく、だからこそ例えば和食のお店は、今でいう間接照明のような光や柔らかな光が食を引き立て、美味しそうに見えるのだと思います。 どうでしょうか? そんな歴史的背景を考えて、現代空間の照明計画を考える・・・こんな切り口も良いのではないかと思った京都旅行でした。 |
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→MARIOT EYES 「MARIOT外部セミナー報告 服部栄養専門学校編」
http://www.mariot-club.com/eye/vol_12/04.htm |
おまけ...障子は自然光(太陽の光)の調節による「光」でしたが、燃焼させる「火」という存在から人の手によって調節され、明かりという役割も与えられた「行燈」「提灯」「雪洞」の「和の光」。 この発生起源も、木という燃えやすい住まい環境を考慮、裸火ではなく、風で消えないようにまわりを紙で覆い焔を安定させたといった自然発生的なものだと聞いてはいます。 でも、「ロウソクの光」ってやっぱり良いものですよね。 |